2025.04.07 承認欲求の正体①
あなたは、親からの愛情に差を感じたことはありますか?私には、ずっと拭えない思いがありました。
今回のブログは、私の核心部分に触れるものだと思います。
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誰かの心の中に自分の存在があるって、嬉しいものだと思った。人と人との繋がりは温かいものだと感じていた時、ふと心に湧き上がってきた想い。
「私は本当は母親の心の中に存在したかったんだ。」と。
気持ちを深掘りしていくと3歳頃の私が出てきた。妹が生まれた時の事だ。妹は幼い頃から甘え上手で愛嬌がありとても可愛らしい。
今まで1番だった私の立場が逆転しそうで、
私はお姉ちゃんだからと強がって見せていた姿が目に浮かぶ。そして、そんな日々の中生まれてくる妹たち。私は四姉妹の長女になっていた。
どう頑張っても赤ちゃんの可愛いさに太刀打ちできない。妹たちは愛おしい存在だ。
母に認められたくて一生懸命良い子でいようとしたが、手が掛からない子として母の意識はまだ幼い妹たちへ向いた。
お母さんは可愛いくない私を見てくれない。
卑屈な思いと、いつもどこか蚊帳の外にいるような気がして、私は愛されない存在だと感じた。
幼少期のどうしようもない寂しさと、母親の愛情を渇望する気持ちこそが、今の私の承認欲求の根源にあるのかもしれないと、最近ようやく気づいたのだ。
深い寂しさを抱えながらも、姑との関係に苦しみ、疲れ、辛そうな母を見て、ただ助けたい、力になりたいと願ったのは、子供なりの精一杯の愛情表現だったのではないだろうか?
それが、私の承認欲求だったとしても、母が大好きで、私を見てほしくて、必要とされたいと思うのは、子供として自然な感情なのではないだろうか?
その想いを受け入れてもらえず、私はいつも不安定な気持ちだった。
そんなものは要らないと拒絶するのは、子供を傷つけ、親と子の関係を壊す行為だと、母親になった今だからこそ強く感じる。
子供はみんな無条件に母親が大好きなのだ。
母がどれだけ愚かでも、愛が受け取れなかったとしても関係ない。
他人の気持ちを否定することは間違っていると断言できる。
私はいつの頃からか家族と関わることを諦めていた。
これは自分が傷つかないように生きていく術だった。
それも母は「この子は自分勝手な存在だ。」「社会性に欠けている。」と否定した。
1番に認められたい人に理解してもらえず、突き放される。だけど愛されたい。この堂々巡りする気持ち。
他人に向けている承認欲求は、満たされることのない沼だ…。
そして、この不安定な気持ちや、自分が必要とされない現実を夫婦関係でも追体験していた。
続く↓↓↓
承認欲求の正体②「愛されていなかった現実を受け入れる」
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