2025.05.12 承認欲求の正体②「愛されていなかった現実を受け入れる」
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承認欲求の正体①
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私は、幼少期の経験から結婚生活の中で自分の居場所が無くなること、必要とされないことを恐れていた。
自分が愛されるための行動は、愛されない現実を引き寄せているということ。
満たされることのない、辛い結婚生活だった。
旦那の気持ちを理解してあげられなかった。私が自分の心と向き合えば変わる。
そうやって自分が悪かったと問題を解決しようとしていた。
それももう、この先の未来を考えると限界だった。
傷つける行動を取ったのは誰なのか?
そんな人と一緒にいて幸せか?
私はただ心の繋がりを感じて安心した家庭を築いて行きたかった。
だから、もう傷付く自分は終わりにしよう。
解決を目指して頑張ることも辞めよう。
そして旦那とお別れをする覚悟をし、我慢を止め、今までの気持ちを全て言い放った(追い出した)
私の心が傷付く事を引き寄せていたとしても、そこ行動をしたのは相手であり、守るべきは自分の心。
私は無条件に愛される存在であり、大切にされていい。傷付かなくてもいい。
ここを何度も繰り返し癒した事によって、無条件の愛や、生きていて良いのだと安心感も感じられるように変化してきている。
旦那は私に崖から突き落とされてから、事の重さに気付き、死に物狂いで這い上がってきた。
どれだけ暴言を吐こうが、突き落とそうが彼は諦めなかった。
私が問題を解決しようとした事は、彼の考えを奪うことに繋がっていたのだと思う。
そして、さまざまな経験を経て、ついに根っこの部分の両親との間で大きな葛藤が起こってしまった。
親から愛されていなかった現実を受け入れる時が来たのだろう。
両親はきっと
「私を愛していた。そんなことはない」と言うだろう。そして
「今までどんな想いで育ててきたか。恩知らずの娘。」と私を責めて悲劇の主人公になる事が想像つく。
しかし、両親からの愛は、私の欲しい愛ではなかった。心の喜びや共感、安心感それが感じられない幼少期だった。
そんな私の感情を認め、受け入れることが課題であり、
両親との葛藤もまた、私の承認欲求から抜け出し、自分自身と深く向き合うためのイベントだったのだろう。
癒し編へ続く↓↓↓
承認欲求の正体③
「自立へ」
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