2025.07.08 私の思考癖【文太ママ】
内なる批判者とは少し違うが。
私が長年していた癖があった。
それも大分前に 手放したものだが。
手放せた事で 行動がスッキリしたと思う。
それは「いじけ癖」だ。😂
子供の頃は そりゃあ いじけていた。
まあ、そりゃあそうだと思うけど。
何せ 親の愛情なんて 感じた事もないし。
あれだけ散々 罵詈雑言を浴びせられ、何かあれば私のせいにされ
「おまえなんか、可愛くない」だの「早く出ていけ」だの言われ
挙句に「我慢しろ」と言われて 育てば そうなるよね。
言い分も聞いてくれないので、私はヒステリーを起こし、最後はうずくまっていじける。
大体 このパターンだった。
これは前回書いた「おまえなんか」に呼応する形で
「私なんか」といじけていた。
いつしか「私なんか」と卑下する事が当たり前になり
「幸せ」とか「愛」とか なんて、遠い遠い出来事のようだった。
もう、「それ何?おいしいの???」状態だった。
若い頃の私には「幸せ」とか「愛」は、私じゃない誰かがする事であって
「私なんか関係ない」事と認識していた。
それくらい当時の私には、幸せや愛とは 無縁の場所にいた。
そう思うと、よく這い上がって来たなと、自分で思う😂😂😂
でもそれをやめられたのは、「母親」のお陰でもある。
そもそも母親が よくいじけていた。
それはそれは みっともないくらいに。
あの みっともない姿を見て 「止めよう」と思ったのが一番大きいのかも。😂
私の若い頃は、母によく似ていたと思う。
被害者意識の強さ、いじける、ウジウジしてるだけで行動しない、肝心な事は言わない、察してちゃん・・・。
めんどくさい女 全開!😂😂😂
だからこそ、過去の私は それを踏襲するかのような初回の結婚生活だったし、
それを猛省したからこその 二度目の結婚生活でもある。
私は 過去の過ちを活かせて よかった😂
母はよく自分を卑下していた。
「どうせあたしは 馬鹿だから」(それは本当!😂)
「どうせあたしなんか」とイジイジ・・・。
私が学校の事を話すと。
例えば「友達にこんなこと言われた、どうしよう」的な ね。
母は 対処が出来ないので(母自身もクリア出来ていない)
「え・・・」と困ったような顔をし「そんなこと言われても・・」と逃げる。
最終的には「どうせあたしは馬鹿ですよ」と私に八つ当たりだ。
私は いつしか 無意識に感じていた 母からの拒絶を感じたくなくて、一切の相談を止めた。
小1の半ばから、「母は無能」だと悟った。
おかげで何でも自分自身で解決してきたから たくましくさせてもらったよ。
最も この「相談出来ない」事で、いじけにも拍車が掛かってた気もするが😂
母の「どうせあたしは」という「いじけ」は、いじけているようで
実は問題から逃げ回っているだけだと気付いたのは 私が中学生の頃だった。
母はいじけているだけで 何も動こうとしない。
何も解決しようとしない。
自分を卑下しているようで、でも自分を変えようともしない。
そしてそれは自分を受け入れているのとは 全く違う。
むしろ強い自己否定だ。
でも いじけてるって「楽」なんだよね。
現に母は そうやって行動して来なかったしね。
それに伴う「責任」も逃れられる。
常にいじけて「被害者ポジション」で居続ける事で、矢面にも立たず
自分だけは安全な場所に居ようとする。
いじけてる事で 問題の論点をすり替え、自分だけは何もせずに居られるようにする。
その「ずるさ」も何となく無意識で感じるから、母は誰にも好かれない。
そして あれほど心底 母を軽蔑していた自分が
「母そっくりじゃん!」て気付いた時の衝撃と言ったら!😂😂😂
高校に入った時、友人関係で悩んでいた時だったかな。
ふと、そう思った瞬間があったんだよね。
結局、中学時代から気分を一新して 新スタートをしようと思ったが。
また弱く いじけた自分が顔を出そうとした時。
「ちょっと待って!?この どうせあたしは・・・って思っちゃってるけど!」
母のいじけた顔が思い出されていた😂😂😂
イカン!イカン!ここでパターンを変えねば!😂
「母みたいになりたくない!」
この強い強い思いが、私に行動させて来た一面もある。
まさに母は私にとって、素晴らしい反面教師だった。
そしてそれは 私が母に頼んだ「役目」でもあった。
この強烈な反面教師の役割によって、「離婚」に勇気が出せたというのもあるのだ。
まさに「どうせ私なんか!」と「母みたくなりたくない!」のせめぎ合いだったなー!😂😂😂
そして私が「母」の事が好きだったら、反面教師にし切れなかったかもしれない。
母が心底「嫌い」で「軽蔑」していたからこそ、効果抜群だったのだ😂😂😂
毒親サイコーだね!😂😂😂
でも人間の思いって複雑に絡まり合ってて、積み重なって今が出来ているなって思う。
単純に一概に言えない事がたくさんあるが。
でも人生って 本当は良く出来てるんだよ!って言いたい。
よく「あんな人、何のために居るんですか?」と聞かれる事がある。
迷惑をかける人、犯罪を犯す人などの事ね。
でも存在意義はあるのだ。
「気付きを促す」役目と言う事で。
必要とされて、乞われて そこにいるのだ。
勿論、自分がそんな存在になりたくなければ「ならない」と決めて動くだけだ。
母も父も 大いに役に立った。
そして私もきっと次世代の「踏み台」として。あるいは「指針」になれたらいいけど😅
もしかしたら私はうっかり「気付きを促す役目?」になってるかも、と思う方もいるだろう。
でもいいのだ。だからこそ、私達にはちゃんと「欠点」が残されているのだから😂😂😂
完璧な人はいない。
でも存在してるだけで すでに完璧なのだ。
それはそういう事なのだ。
ただ自分は「どんな人間で居たいのか?」「どう在りたいのか?」「どう生きたいのか?」と
自分自身に問い続けていくだけである。
ちょっと違ったな、と思ったら。
その都度、軌道修正していけばいい。
自分の人生なのだから。
なんか今回も 思い付くままに書いたから、支離滅裂な感じもするけれど😂
言いたいのは、周りの人間は自分の為に存在してるってこと。
それを活かすかどうかは自分次第。
そして役目が終われば 距離を取ればいい。
今回も長文になりました😅
お付き合いいただきありがとうございました!