文太ママ&彩加のブログ

2025.07.19 母のくれた傷【文太ママ】

前回のブログを書きながら、思い出した事がある。

今回は、思い出した出来事を書いていこうと思う。


あれは私が中学に上がった 今頃だったと思う。

当時小2だった三女(一番下の妹)が「お腹が痛い」と言っていたらしい。

それを母親が 私に言ってきた。

「まっちゃん(妹)が『お腹が痛い』って言ってる。どう思う?」


そう言われても、正直「???なんで私に聞く?」と思った。

同時に腹も立っていた。

私が お腹が痛いとか生理痛で・・・と言っても、私には「我慢しな」の一言しかないのに。

妹の事は そんな心配そうな顔はするんだ、とも思った。


腹立ちまぎれに「そんなの知らんよ。様子でも見れば?嘘かも知れんじゃん」とそんな事を言ったと思う。


そしたら次の日。

学校から帰った私は ものすごい剣幕で母親に怒鳴られた。

妹は 「盲腸」だったようだ。

あまりに痛がるので 医者に連れて行ったら そう診断され、すでに入院してるとの事。


「おまえが嘘かも、とか様子見ろ とか言うから!

もうちょっとであの子は 死ぬかもしれんかった!

お医者さんに『なんで もっと早く連れて来なかったんだ!腹膜炎を起こす所だったぞ!』と怒られた!

あんたのせいで!!!」

とメチャクチャ怒られたのを覚えている。


その時も正直「知らんがな」と思ったし

「うるせええ!そんなの知らんわ!」と、キレたな。


うちの母親は よくそうやって私に責任転嫁してきた。

「おまえのせいで」「お前がわるい」よく言われたなー。


しかし。

母親は間違っている。


そもそも「どうしよう」と相談すべきは、娘の私じゃなく

自分のパートナーである「夫」にすべきだ。

それが出来ないなら、同居していた自分の母親にすべきだろう。


最もこの二人が 何の役にも立たないから、全てを私におっ被せて来るんだけどね。


しかし。しかしだ!

私はその時 たかだか12歳の子供だよ。

いくら周りから「しっかりしてるねー」と言われようが!

私は こ・ど・も だぞ?!

中学生だぞ?

医者でもなけりゃあ 神様でもねえよ?


なのに何で私に 判断を委ねようとしてんのよ!?

おまえが母親だろ???

こどもの私に聞くんじゃねえよーーー!!!

バッカじゃねーーーの!!! バーカ!バーカ!!

あ・・・そういやバカだったわ・・・。

うちの母親はバカだったわ~・・・ と、いつも飲み込んでたな😅


うちの母親の頭が悪い所は、相談する相手も相談内容も 全部 間違えてる所だよ。

そして自分の判断ミスを 私のせいにする。


知らんがな。私はお前の旦那じゃねえ!!

おまえのお守りまで さすなよ!

私 こどもだぞ!

妹の命まで 私に委ねるな!

荷が重すぎるわ!!


母親の無意識には「自分は馬鹿だから」というのがある。

そして究極の自己否定と被害者意識。

そして 長女の私を無意識に アテにならない旦那の代わりに

「パートナー」の位置に据えていただろう。


麻雀ばかりで家庭に無関心な夫。

家庭や家事から 仕事に逃げている母親(私の祖母)。

母は 無意識に私をパートナーのように 依存していただろう。

実際、私は 母の依存が重たかった。


私には無関心なくせに「かまって」「愚痴きいて」「私の面倒を見て」と厚かましくも強請ってくる。

意に沿わなければ「おまえは私の敵だ」だの「冷たい」だの 好き勝手言ってくれたな。

そのくせ「お前は可愛くない」とか「可愛げがない」とか散々言われた。


出来上がったのは すっかりひねくれた私である😂😂😂


なので そんな私は早くから 親に見切りをつけていた。

中学生の頃には 両親を冷めた目で見ていた。

単に 色んな事を「諦めた」だけなんだけどねw


そんな私は、傍目から見たら 落ち着いていて 大人っぽく見られていた。

実際身長は160あり、年より上に見られる事もしょっちゅうだった。

だから 母は余計に無意識に私の事を

自分と同等か それより「上」と無意識に認識していただろう。

なので私の「扱い」は、ほぼ「大人」だった。

私の事、「過大評価」し過ぎ!!!


それが私には 余計 苦しかった。

実際の私は 年相応に甘えたい事もあったが、そんな事も一切出せなかった。


私が高校生になり、三女が小6の時。

妹が母の膝で甘えていたのを見た。

思わず「まだ甘えてんの」って口に出したら、母が嬉しそうに

「だって~!まっちゃん まだ赤ちゃんだもんねー!」と言っていた。

私は無言で見ていたが、正直ハラワタが煮えくり返るような思いだった。


私が12の時には 大人扱いし、そんな事見苦しい!と言っていたよね?

母のこうした態度の違い、扱いの違いもあって、そういえば母親はそういう人だったわと思い直した。


私は 小さな頃から甘えられず、「おまえのせい」「おまえがわるい」と言われ 愛情を感じる事もなく育った。

一時そのせいか 高校時代は精神を病んでいたと思う。


その後、結婚し出産を経験し、三人の子持ちになった。


母を反面教師にすべく、私はなるべく子供達に

「男だから」「女だから」とか「長男だから」「長女だから」

「お兄ちゃんなんだから」「お姉ちゃんなんだから」など

それを理由に我慢させるとか 何かを強いる事はしないと 決めた。

重すぎる責任も背負わせたくない。


あくまでも「その子個人」を見よう、と決めたのだ。

そして子供には過剰に期待せず、期待するなら「これからの自分自身」にしようと決めた。


その結果。




それがよかったのか 悪かったのか、今でも判断がつかない😂😂😂


元長男は ちゃらんぽらんだし・・・😅

娘はそれなりかな。

次男も今は家庭を築いているが、それはお嫁ちゃんが頑張っている事が大きいと知っている。


もしかしたら、長男にはもっと「兄」として「男」として 責任を負わせても良かったのかもと思う。

彼は 私ではないのだから。


私が 重すぎる責任に苦しんだとしても、それは私の苦しみであって 彼は全く苦しんでいないのだから。

むしろ ひょうひょうと逃げ回っている姿は 私の両親や前夫と重なる。

もっともそんな元長男も 私が育てた長男とは思い出も異なるから・・・😅

今更 過去の子育てを反省した所で 果たしてあの「子育ての成果」が「今はどこにいるのやら?」である😂


母には思う事はいろいろあるが、それでも母を反面教師として 大いに役には立ってもらった。

母の事は もう恨んでもいないし、別にどうとも思っていない。

好きでもないが嫌いでもない。

でも ただただ「ありがとう」の気持ちでいっぱいだ。


母からもらった たくさんの傷。

このお陰で この仕事に辿り着いた。

おかげで今の私があると思う。

母の矛盾、自己否定、被害者意識など、母の馬鹿さ加減から「なんで」「どうして」の連続で

これが私の自問自答が癖になり、考える力にもなったな。

すごーく鍛えてもらったなー😂😂😂


ありがてえ!😂😂😂


ちなみに。母も80を超え、昔よりはポジティブな言葉が出るようになったし、穏やかになったと思う。

阿呆な母なりにわずかだけど 成長もしてると思う。

今の母は「あんたのせいで!」とは言わない。

もしかしたら今の私が怖くて言わないだけなのかも知れないが😂😂😂

それでも私には 失礼な口は叩かないだけ 良しとしてる😂


今日書いたのは、そんな遠い遠い日の思い出した出来事だ。

もう何十年も経ったよ。

妹も50過ぎた😂😂😂


みんな生きてるし!よかったよかった!!


今回もかなりの長文になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました!


母のくれた傷【文太ママ】