文太ママ&彩加のブログ

2025.06.14 私の内なる批判者の声【文太ママ】

今日は 私の内なる批判者について 書いていこうと思います。

お付き合いくださいませ。


今は 完全に手放した事だが。


私にはかつて 多くの内なる批判者がいた。

その中で 特段に声のデカいヤツが居た!😂


「早く!早く!早くせんか!」

これは私が20代の頃に 巣食っていた。

そして これは私の祖母(母方)の声で来ていた。


私の実家は、母の実家でもあり 父が婿養子という形で入っていた。

なので子供の頃は 父母、母方の祖父母と暮らしていた。

後に妹2人が生まれる。


祖母は仕事人間(製造業)で 基本的には家にはいない人だ。

家事全般も苦手で嫌い。

趣味もなく、休みの日は特に何もせず、テレビを見ているだけ。


なので家にいる時は暇なので、孫である私が目に付くのだろう。

だから暇さえあれば、私に何かと口うるさく言ってくる。


「宿題やったかね?早くやらんかね!早くせんか!」


家に帰った途端、ばあさんがいると早速言われる😅

仕事が暇な時期になると 早い時間に帰宅しており、家にいる時間も長くなる。

そうするとずっと付きまとい

「宿題やったか?まだやらんのか?早くやらんか!早く!」

と、ランドセルを下ろしてもいない私に言ってくる。

当然、妹も対象だ。

でも私が一番 言いやすいのか、毎日毎日 毎日毎日 言われていた😅


終いには 母親の方が「あんたうるさい!」とキレてたな😂😂😂


勿論、私も黙ってる性格ではない。

最初は「うるさいなあ」とモゴモゴ言い返してる程度だったが、高学年に行くに連れて 毎日派手な口論へと発展していた。


「ただいまー」と帰るなり

「あんた今日も宿題あるのかね」

「あるけど?何!あんた関係ないじゃん!」

「いいから宿題やれ!」

「あとでやるわ!」

そして10分置きに 例の「宿題やったかね」が繰り返される。


時々「宿題やったかね」を何回言うのか、妹と数えていた時もあった。

最高記録は30回超えだったような・・・😂😂😂


あまりにもしつこいと

「早くやらんかね!」

「うるせーーーー!!!」

「早く!早く!なんでやらんの!」

「いいからオマエ もう〇ね!」

こんな口論にもなったりする。


私も妹も どんどん口汚く言い返す事になる。

結局 ばあさんは好かれはしない。(当たりまえ)

家には安らぎはなく、ばあさんが繫忙期で不在だと 途端にみんなホッとした。(当たりまえ)


このばあさんの執拗な急かす言葉は、私達姉妹に深刻な影響を及ぼした。


妹は中学生になると 心を病み、不登校になる。


母はお医者さんに相談し、「あんまり言わないように」とアドバイスをされると、祖母は妹に言うのはやめた。

そこからは私に一点集中口撃になる😅

私も、その時は無自覚だったが鬱っぽかったし、中学 高校生の頃には吃音、不安、赤面症、視線恐怖症、強迫観念など引き起こして来た。

それらは高校生のうちに克服したが、名残として「早くせんか!」が私を追い立てる事になった。


「早くせんか!」はいつも私に付きまとい、常に急かして来た。


これは私の人生前半での「生き急ぐ」様な生き方に 多大な影響を及ぼしただろう。

おかげで私は何でも早かった。

結婚も出産も早かったし😂😂😂

話すのも早かった。(今は早口も直ったと思う)

基本的な動作は 人より早いと思う。

だから仕事も割と早くこなしていたと思う。


ただ負の面もあった。

それはクルマの運転をしてる時。

こういう時の「早く!早く!」は困る。

焦りたくないのに、内側からくる急かす声!


なので20代の時は よく事故も起こしていた。

事故も起こせば、それに懲りて 運転も大分 慎重になった😅


運転しながら、自分の内側の声にふと気づいた時。

「早く!早く!」

「なんで?」と自問自答してみる。

でもよく聞くと、それは祖母の声だった。


それからは運転してる時に(当時、私の時間がそこしかなかった、それも営業の仕事の最中!😂)

「早く!早く!」

「大丈夫だよ。急がなくても。」

「お客さんが待ってる!早くせんか!」

「大丈夫。あのお客さんはいい人だから。ちょっとくらい遅れても大丈夫。」

「待たせたらイカン!早くせんか!」

「遅れた所で死にはしない。それより事故なく行けた方が お客さんに迷惑が掛からないよ。」

など、祖母の声と自問自答していた。


急かす祖母の声にその都度 ヨシヨシし、なだめ、説得し続けた。

これも数年かけて 自問自答しながら、手放した。


いわゆる内なる声の「上書き」だ。

これをやり続けたのだ。

まだヒプノとか癒しとか、知らなかった頃の事だ。


今なら、ヒプノであっという間に手放せる事もあるだろう。

私がセラピストを志したのも、今やってる「癒しの館」を作ったのも、苦しんだ経験がそうさせるのだ。

あれだけ長年苦しみ、手放す事も大変だった。

でも「癒す」事を知ってれば、どんなに楽だっただろうと思う。


あの時の「早く!」という内なる声は、私の人生を突き動かしてきた と言っても過言ではない。

良くも悪くも 私を支配してきた。

そして多くあった内なる声の一つだった。


これらを手放したからこそ、私の心は今 穏やかなのだ。


皆さんの中には まだ穏やかには暮らせないよ という方もいらっしゃるかも知れません。

でも願えば 必ず そんな日が来ますよ。


この「癒しの館」が皆様の一助になれれば 幸いです。


今回も長文を読んでいただき、ありがとうございました。



私の内なる批判者の声【文太ママ】