2026.09.29 あれは必要な試練だった。でも、もう一度と言われたら、ごめん被ります――亡くなった姑が夢に出てきた朝に思ったこと
今朝、とても不思議な夢を見ました。
夢の中に、亡くなった元姑が出てきたのです。
「このまま施設に入居する」と決めた姑を見て、私は大喜びしていました。そして、そのことを母に知らせようと思いました。
けれど、母もすでに亡くなっています。
そんな夢でした。
この夢をAIに話しながら、一つひとつ紐解いていくうちに、私は昔のことを思い出しました。
この姑は、最初の結婚のときの姑です。
23歳から31歳まで、熾烈な嫁姑関係が続きました。
郵便物を勝手に見られる。
留守中に部屋を覗かれる。
捨てたゴミを、ゴミ袋から拾われる。
等々。
今なら、はっきり「嫌です」と言えます。
というより、今の私なら絶対にごめん被ります。
当時の私は何度も追い詰められ、「殺したい」と思ったこともありました。そんな自分自身が怖くなり、私は婚家を出ました。結果として、離婚に至りました。
あの頃の私には、それが自分を守るために必要なことだったのだと思います。
長い年月が経った今、元姑のことを思い出すと、少し違う見え方をするようになりました。
あの8年間は、私にとって必要な試練だったのかもしれない。
ただし、ここははっきりさせておきたいと思います。
必要だったからといって、姑の行為が正しかったわけではありません。
郵便物を見られることも、部屋を覗かれることも、ゴミ袋を漁られることも、今でもされたくありません。
あの経験がなかったら、今の私はいなかった。
そう思えるのは、あの出来事を肯定しているからではなく、そこから自分なりに何かを学び取ってきたからです。
人との境界線。
自分を守ること。
嫌なものを「嫌」と感じること。
そこから離れる勇気。
自分の人生を自分で選ぶこと。
あの頃の私は、何も分かりませんでした。だからこそ、あの壮絶な時間を通って、少しずつ「自分」というものを作っていったのだと思います。
今の私は、あの経験に自分なりの意味を見いだすことができます。
けれど、「必要だったから、もう一度経験したいか」と聞かれたら、答えは即答で、
「ごめん被ります」
です。
つらかった経験から何かを受け取ることと、その経験を肯定することは別です。
「あれがあったから今の私がある」と思うことと、「あんなことをされても仕方がなかった」と思うことも違います。
私は、あの経験を許せたわけではありません。
まして、相手の行為を正しいと思ったわけでもありません。
ただ、長い時間をかけて、自分の人生の中にその経験を置き直し、そこから得たものを見つけられるようになったのです。
夢の中で、姑は「施設に入る」と決めていました。
もしかしたら、その施設は、私がもう姑との関係を背負わなくていい場所だったのかもしれません。
もう、あの頃の姑を私の人生の中に置いておかなくてもいい。あの頃の自分を守るために、戦い続けなくてもいい。
「あの人がどうだったか」よりも、「私はあの経験を通して何を得たのか」に目を向けてもいい。
そんな時期に来たのかもしれません。
そして私は、そのことを母に知らせようとしていました。
母なら、「よかったね」と一緒に喜んでくれたのでしょうか。
そう思ったところで、母ももういないことに気づきます。
親世代がいなくなった今、私は自分自身で、自分の人生を生きていくしかない。そんなことを夢が教えてくれたのかもしれません。
夢には、現在の人間関係も出てきました。
私が苦手にしている近所の女性が、勝手口から家の中に入ってきたのです。
その人は、私と主人に見せたいものがあると言い、ぼんやりとした布を広げました。そして満足した様子で帰っていきました。
ところが、その布を忘れていった。
私は「これを返さなくちゃ」と、後を追いました。
すると、家に戻ろうとしてもセキュリティがかかっていて入れません。仕方なく外へ出ようとしても、今度は外にも出られない。
「どうしよう」と思ったところで地震が起き、目が覚めました。
しかも、現実にも地震が起きていたのです。
この夢を振り返りながら、私はふと思いました。
もしかしたら、
人が置いていったものまで、私が拾って返しに行かなくてもいい。
昔の私は、いろいろなものを背負ってきました。
姑とのこと。
家族のこと。
人との関係。
そして、人が置いていった感情や問題まで。
でも、その人が置いていったものは、その人のものです。
私がすべて拾わなくてもいい。私の家には、私が大切にしたいものだけを置いていい。
過去の出来事も同じなのかもしれません。
「あれは必要だった」と思えるようになった私は、もう一度そこへ戻らなくていい。
感謝しなくてもいい。
許せなくてもいい。
ただ、自分の人生の一部として、そこに置いておけばいい。
過去に意味を見いだすことは、過去を美しいものに塗り替えることではありません。
傷つけられた事実をなかったことにすることでも、相手の行為を正しいことにすることでもありません。
意味は、相手が与えてくれたものではなく、長い時間をかけて、私自身が自分の人生の中から見つけたものです。
だから私は、こう言えます。
必要だった。
でも、正しかったわけではない。
意味は見いだせる。
でも、もう一度は、ごめん被ります。
今朝の夢は、その違いを、私に静かに教えてくれたような気がしています。