セラピストブログ

2025.04.15 未熟で弱い自分を受け入れにいく その① 過去編

こんにちは。

今回は、私が経験した非常にデリケートな出来事についてお話ししたいと思います。

自己保身でぐだぐだな未熟で弱かった私の過去の告白と、また同じような状況にいる方々へのメッセージとして書きました。


20数年前、私の娘が小3の時、兄で①ある小6の息子から無理やり下半身を触られたと相談されました。

話を聞いた私は動揺と混乱で頭が真っ白になりました。

日頃穏やかで優しかった息子なのになんで?と。

そして冷静な思考ができなくなり悪手を取ってしまいました。

内心パニック状態の私は、娘が相談してくれたのに「あれは馬鹿で良いことと悪いことがわからないのだ。」と息子の行為に憤慨しながらも娘に寄り添えず、息子に対しては「お前なんてことしたのか!」と堂々と説教すべきなのに、日常が壊れる恐怖に駆られ息子と向き合わないまま同室の子供部屋にボードで壁で隔てるしかできませんでした。

息子のやらかしはそれっきりでしたが、今振り返ると、あの時の私は母親としての役割を果たせないまま逃げただけで、子どもたちにとっても私にとっても良い結果をもたらさなかったと感じています。

結局見て見ぬ振りした馬鹿な親でしか無かったと。

この出来事は私の未熟さの黒歴史になり、それを忘れたくて蓋をしてしまいましたが、心の奥底には罪悪感がずっと残りました。

しかし、最近の性被害を受けた方々の経験を聞く機会を得てから私の心の蓋が弛み始め、自分が親の立場でやってしまった中途半端な対応が、娘の心にどれほどの影響を与えたのか、当時の記憶がはっきりすればするほど罪悪感が強くなっていきました。

そして、20数年前のあの出来事以降、私はずっと深い後悔を抱えていたのに感じないふりをし、母親として子どもたちを守るべき立場でありながら、彼らの心の傷に気づくことができなかったとさらに悔やまれ、私は、息子に対しても娘に対しても、もっと真剣に向き合うべきだったと今更ながら深く痛感しました。

ただ、今になっていたたまれない気持ちになっても、贖罪の気持ちで私が急に話を持ち出すのは彼らには迷惑でしかなく、しかし自分がやってしまった事は変えられないし、無かったことにはできない。

突発的な事が起きた時に人の本性が現れるというだけに、当時平和な日常が壊れるかもしれない恐怖感の凄まじさで逃げてしまいましたが、今、タイムカプセルのように私の自己本位さを突きつけられています。

我がことながらその未熟な弱さに反吐が出ます。

苦しくても向き合う時にしっかり向き合えば良かったのです。

現在の息子と娘はそれぞれの生活で自分とまっすぐ向き合って明るく生きているようですが、私の弱さで起こした事は彼らの資質が良かったおかげで、荒れる事なく今に至る事ができているのだと思いました。

今はその事実や感情としっかり向き合って受け止めようと思いました。


(その②に続く)



未熟で弱い自分を受け入れにいく その① 過去編