2025.03.18 お母さんはお釈迦さま?毒親? (後編)
こんにちは!セラピスト葉月です。
このブログに目を留めてくださりありがとうございます。
私の母への想いを綴って前編・中編と来て、これで締めの後編です。
終盤は母に苛立ちをぶつける展開となり、くどくてお見苦しいかもしれません。
サラッと読んで頂ければ幸いです。
20年前に突然逝った母への手紙
✉️お釈迦さま改めお母さんへ✉️
[1枚目]
小学2年、転校生の私。初めてのテストの日に先生(老婆)から頭をゲンコツされたの覚えてる?
「おまえはどうしようもない人間だ!」とかなんとか罵りながらガンガン連打してきた。カンニングしたという理由でね。
ビックリだよ。だってそれは、学級委員の女子(1番親切にしてくれた子)が、
「テストの時、教科書を見て良いんだよ。アタシもそうしてるよ。」と教えてくれたからそうしただけなんだもの。
経緯を冷静に主張したけど結局、先生は私を嘘つき呼ばわり。口惜しくて〜痛くて〜!
家に帰ってお母さんに泣きながらそれをぶちまけたよね。
その時お母さん、私になんて言ったか覚えてる?
「えー?そんな事が?嫌な先生だね〜」
って、それだけだった。
小2の私は学んだよ。
チェッ!こりゃダメだ〜ってね。
悔しさを共有してあげたから、もう忘れなさいってことか。
それに今とは時代が違う。
昔は先生の方が立場的に強い。PTA役員でもないウチの親なんて相手にされない感じだった。
その後はおかげ様でほぼ1年間、私は先生から冷遇されたよ。
そうそう授業参観の日、お母さんが先生に誤解を説明してくれるかな?て、すっごい期待してたんだよ。
でも見事に撃沈。
「お世話になっております〜」
じゃないわ💢
お母さんのバカ〜〜!!!
[2枚目]
「うちは、お父さんの言うことが絶対ですから😣」
受験校を決めるための三者面談で、お母さんがこれを言ったね。
「本当に良いんですか?お母さん!」身を乗り出して確認してくれた担任に
「はい」「仕方ないんです」って。
進路希望の欄には
近所に新設された公立高校の名前。
「早く帰ってきて家事をしなさい」と言うのが父のお達しなので、それに従ったからね。
でもさ、本気で娘の幸せを願うなら、そこは戦って欲しかったよ、お母さん。そもそも意味不明なのはオヤジなんだけどさ。
今の私ならば
「はあ?江戸時代かよ💢」となるけど、すでに14歳で諦め上手になっていたんだわ。
ここだな!決定的にここだ!
被害者人生✨華々しくスタートです。
[3枚目]
「もうすぐ30歳。交際長いのに結婚しないの?一度してみたら?離婚しても逮捕される訳じゃなし」
そう言って結婚願望のない私の背中を押してくれたね。
ありがとね〜。
おかげさまでこのザマでーす(^-^)v
[4枚目]
結婚して半年も経たぬうち女性問題発覚。
優しい夫がモラハラ夫に大変身の頃。
耐えきれず私は、お母さんに相談したのよね。
その時あなたはこう答えた。
「賭け事とかお酒とか、男の人なんてなんかクセがあるんだから〜〇〇さんなんて良いほうだよ我慢したら?」
か、っかぁ〜!!!信じられん!
今こうして文字に起こしてみて改めて思う。
あり得ないよ〜信じられない。
そういえば小さい頃から
『仕方ないんだ、仕方ないんだ』
ってお母さんの独り言、ちゃんと聞こえてだんだからね。
おばあちゃんに意地悪された夜もそう言って泣いてたよね?
でね。お母さん、分かってないと思うけどその
『仕方ない仕方ない』を
娘の私に強制してきたんだよ。何年もかけてじわじわと。
たまに
「これからは男も女も関係ない。経済的に自立してね。ママみたいにならないようにね」とかなんとか私には話していたけど、
その『仕方ない』て呪文の方が強力だから!
令和になってもまだ私の中で効力発揮してるんだからね!
言っとくけどお母さん。
仕方なく・ない!
全然ない!
仕方なくなんかないんだよ!
お母さん。
辛い事が起こるたびに、そんな独り言を唱えて、乗り越えてきたの知ってるけどさ。
仕方ないんだったら、
仕方あるにしろ!自分の人生だよ。
他人に託すな!自分で選べ!
自分で責任とれば良いんだよ〜!
聞いてんのか〜💢💢💢
そういえば女性関係について
あなたはこうも発した。
「まあ、私達夫婦は女の問題とかないけどね〜笑」
ん?え?…ふう〜っ😮💨
手紙はここまでにします。
どうでもよいことですが、実生活においては
私と母の会話に「バカ〜!」や「聞いてんのか〜?」といった活気あるワードは登場した事がないのですが、
こうやって渡せない手紙に書くくらいなら、当時使っておいたら良かった。
さて、ここまで聞いてどうですか?
みなさん!
変ですよね?クレイジーですよね?
お恥ずかしいことに、私はヒプノセラピーに出会うまで、この母の生き方が私を縛っているとは思いもよらず、
むしろ他者尊重を貫く尊い姿だと信じておりました。
実際、セラピー後このようにして母との思い出を辿りながら、
その時々の私の感情を蘇らせる作業は、ホントいうと憂鬱そのもので何度も頓挫。
自分が憤怒の形相になるのは避けられず、お得意の自己卑下もセットでやってきたりして。
内観し、「全て私が経験したくて用意したのよね?」と語りかけても
「うんうんそうですよね〜」なんてそう簡単にはいかない!のです。
時間がかかります。受け入れるのに。
そうか〜ここはヒプノセラピストとして注意が必要な部分。癒す側の思惑が上滑りしてないか、一旦止まって気配を伺うようにしよう。
メモメモ_φ(・_・
図らずも痛みがひとつの収穫に繋がったのは救い。
は!話が反れてしまいました💦
一年かかって今ここです。
セラピスト仲間、そしてセラピスト講師の皆様のおかげだと心底感謝しております。
母はお釈迦さまではなく、銀紙💩。
私は熟練の銀紙職人。
世にいう毒親育ちになりますが、
この毒あってこの子(私)在りです。
もし両親💩の毒がなければ、
私はかなりの勘違い女に仕上がっていた。断言できます。
毒親スパイスがほどよく効いたからこそ、この一品となりました。
さあ、締めに
何故に私は母に銀紙を被せてキラキラにしなければならなかったのか?
それを思い出さなければなりません。
思い当たるのは5個
○お釈迦さまのような母に育てられたとする事で自分の価値を上げたかった
○母をかわいそうな存在にしたくなかった
○家族優先で自分は我慢!そんな生き方を美化したかった
○そして母のように我慢をしている私自身を肯定したかった
○前世(母娘逆の立場)の強い母性愛が働いた
こんなところですが時間を置いてまた気づきがあるかも知れません。
ここまで駄文にお付き合いくださった方がいらっしゃるとしたら、ただただ心苦しく、肩でもお揉みしたい気分です。お礼申し上げます。