2025.03.10 いい子ちゃん卒業
私は幼い頃から良い子だ。自分で言うのも何だけど、私を嫌う人はあまりいなかった。
そこそこ仕事はできるし、要領も悪くない。特別優れているわけではないけど、
ある程度の常識もあり、不自由せずに生きて来れている。
好きなように、やりたいように生きる。
可もなく不可もなく存在する。
それの何がいけなかったのか?
唯一、私を卑下する人がいた。
それは母だ。
存在が当たり前すぎて、今の今まで見えなかったけど、母との口論がきっかけで気付いた。
いつものことだが、口論になってからあまりにも否定され続けたので
「私を悪くいう人なんかいない」と言うと
「それはあんたが人の話をはねつけて聞いていないだけ」「勘違いだ、おかしい」くらいに言われた。
そこでハッと目が覚めた。
いや、私は紛れもなく自他共に認める良い子だ。
学校でも会社でも人間関係で揉めた事はない
。(陰で言われてたとしても鈍感力で多分気付いていない)
それは、母にストレスや不安の捌け口としてサンドバッグにされても気付かず、めげずに母を求め、
醜い母の姿を見ても、私が気を付けたら解決するだろうと努力をし、社会性を身に付けて生きて来たからだ。
ある意味母が最強で、良い子ちゃんはこの母に育てられた賜物だ。
そして、自立するにつれて自分が心地良さそうな場所を選択し続けた結果の今がある。
しかし、良い子の弊害としては
顔色や感情を伺いすぎてしまう
言いたい事が言えない
緊張感が強い
などがある。
ここを一つ一つを癒し、母と自分の絡まった感情を解きほぐす事や、
ブログでの自己開示、皆さんとのコメントでのやり取りで思った事を言う努力をしている所だ。
口論から今まで抑えていた感情が爆発して母に対して
初めて、いなくなってもいいや。むしろいない方が上手くいく。と思った。
いつも母の顔色を伺い機嫌を損ねないように、自分の道を邪魔されないように上手くやらなければならなかった。
めんどくさい。
これが本心。私の心の叫びなんだ。
それとは反対に、ずっと母を生き写してきた私にとっては、ようやく母子分離できたのだとホッとした気持ちも感じた。
“私は私。一人の人間。自由に生きていい。好きに生きていい。”
しかし!怒りにまかれてしまい「◯ねばいいのに」と心の声が漏れてしまい、母大爆発、大問題を引き起こしてしまったのだが、🫢
それは今後の課題である。。。
その口論後、母は父を利用して私を脅し責めて来た。
私は夫に「大丈夫。俺がいるよ。」と言ってもらえて、この家族で乗り越えていけばいいんだなとすごく安心した。
人をサンドバッグにし続けてきた人と、自分と向き合い、行動し続けて来た人の違いなんだろう。
表面的な問題は山積みだけど、私は自分の足で立って生きていく決心がついた。
母を包んでいた銀紙を引き剥がし、良い子ちゃんを卒業した。
未来の霧が晴れたような清々しい気持ちだ。