2025.01.21 信頼されたい
今日は母を水仙祭りに連れて行った。
連れて行くにあたり、今朝行けるかどうかの最終確認の電話を入れた。
すると、「あんたが行きたいなら付き合ってやってもいいよ」という答えが返って来たのだ。
私はその返答を聞いてモヤモヤとした気持ちに包まれた。
何だろう?
私が誘ったのは、父の世話であまり出かけられていない母にたまの息抜きをさせてやろうという気持ちからだった。
その真意を理解されてないのか…という残念な気持ち。ガッカリ感。
アタシは行きたいわけじゃないけどアンタが行きたいなら付き合ってやってもいいよ、という「しゃーないから行ってやる」という責任の押し付け?
そんなことをモヤモヤと考えてるうちに思い当たった。
母はきっと私に負担をかけたくないという気持ちなのかもしれない。
それがそういう言葉となって表れたのかもしれない。
うちの母というか父もだが、やたらどうでもいいことを心配する。
買い物に連れて行ってやる時も「今日は仕事は休みなのか?大丈夫か?」などと頓珍漢な心配をする。
仕事じゃないからここに来ているし、大丈夫じゃなかったら来てないんですけど?
どうしてそんな分かりきったことをいちいち聞くのか?
やっぱりモヤモヤしてしまう。
考察していくうちに、「私は信頼されてない」という思いにぶち当たってしまった。
信頼されてない、ということは信頼して欲しい、ということだ。
もしかしたら信頼して欲しかったのに信頼してもらえなかった前世があったのかもしれない。
何となく中世ヨーロッパ的な服装をした中年男性のイメージが来た。
私も今度癒してもらおうかしら…。