文太ママ&彩加のブログ

2026.04.20 「あきらめ」を手放す【文太ママ】

先日の内面深堀サロンでの 公開セッションで「引き寄せ」のワークをした。

その際、私も一緒にやっていたのだ。

そうしたら 「引き寄せ」のブロックになる感情を 少し感じた。


「あきらめ」


この感情。母からのものだ。


別日に癒す機会があったので、癒す事にした。

出て来るのは やっぱり中二の時だ。


私がテストで良い点を取ったり、何かで表彰されたりした時。

母の戸惑う顔が出て来る。

嬉しいは嬉しいけど・・・なんでこんな点数が取れたの?  そんな顔である。


私はバカなのに、なんで?・・・と、自分の想像の上をいく自分の娘が理解出来なくて、戸惑うのだ。


進路についての三者面談で 担任の先生から

「もっと本気で頑張れ!お前ならK高(市内のトップの高校)に行けるんだから。」

とハッパを掛けられた。

私は先生から認められているようで ちょっと嬉しかったが、私の横で母は微妙な顔をしていた。


学校から家までの帰り道、案の定 母に言われた。

「あんた、まさか進学校(大学)へ行きたいって言うんじゃないよね?

うちにはそんなお金はないよ!そんなとこ行ったって・・・。」

と、ごにょごにょ言い出した。


中卒で無知な母には 子供に「投資する」という考え方はなく。

また進学した先も想像できず。ただただ不安で 私の足を引っ張るのだ。


お陰で 勉強も適当にしていられて私は気楽だったが。

でも母のような人間にはなりたくなくて程ほどには頑張っていた。


それで高校進学は、家から近いN高校(一応進学校)に通ったが、これも馬鹿な母親を説得しなきゃならなくて 情けなかった。


母は、隣町のA高(公立の底辺高校)へ行けという。

母は自分の思い込みから「私がバカだからあんたもバカだ」

(本音は 自分と一緒のバカでいて欲しい、仲間でいて欲しい)

だから「オマエはA高に行け」となるのだ。

当時のA高は「暴走族養成学校」とあだ名されるような治安の悪い学校だった。


当然 行きたくない!!

だから「私はN高に行きたいの!」とプレゼンしまくった。

こっちの方が交通費が掛からない事、学費も月額千円安い事など 調べてプレゼンしたのだ。

本音を言うと、ホントはN高も そんなに行きたい訳じゃない。

大して行きたくもない高校のプレゼンをせざるを得ない自分が ただただ情けなかった・・・。


バカで無知な母親を持つと、進学する意味さえ分からないのだ。

つくづく自分の母親が 嫌になったものだ。

ちなみに父親は 無関心だった。


父に成績表とか 表彰状を見せたり、人から褒められている所を見られたものなら・・・。

それこそ「調子に乗るなよ!」とか「ブスのくせに!」とか「オマエが何やってたって全部ムダだからな!」と

釘を刺して来るような父なのだ。

論外である。


そして「まあ適当でいいか」と、自分の中で折り合いをつければ、学校で先生から

「なんで頑張らないんだ!」と𠮟咤されるのだ。


やってらんない・・・。そう思ったものだ。

親に対する「あきらめ」もあったが、先生に理解してもらう事も「あきらめ」ていた私。


担任の先生は 私の部活の顧問でもあり、私の事を可愛がってくれたと思う。

当時の先生は、新任の23歳。

先生の家は 代々教師をやっていた家であり、だから両親も学校の教師らしい。

そして自分も迷うことなく「オレも先生になる」と決めて、そこに至った人だ。


きっと先生の価値観の中では

「子供が出来れば 親も喜ぶはず」「子供が頑張っていれば 親は応援するのが当たり前」

だとでも思っていただろう。(実際、口にも出していた)


そんな真っすぐさを 当時の私も 先生に感じたからだ。


だから先生には うちの親のバカさ加減を いくら説明しても分かってもらえないだろうなと「あきらめ」てしまったのだ。

今なら先生を使って、もうちょっとうまく立ち回る事も出来ただろう。


この「お坊ちゃん」臭のする熱い新任の正義感を 今の私なら「利用」するだろうな😂


でも子供だった私には そこまでの知恵も機転もなかったね。

そして先生から感じる育った「家庭」や「背景」の違いを感じ取っただけだった。


その頃の私は 将来への光も見い出せず 混とんとしていた。


それでも もがきながらもその時出来る 精一杯の努力はし続けていた。

勉強は適当だったけど、自分が出来る家事はやっていたし、本も毎日2冊 相変わらず読み続けていた。

いつか家を出る機会を待ち、いつでも困らないようにしておこうとしていた私。


それは本当に 役に立ったのだ。

結婚した時に 何も困らなかったからね😂


限定ライブでも語った事だが、この頃に通っていた塾がある。

生徒は 私を含めてたった3人しかいない 小さな塾だったが。


私はこの塾の先生が好きだった。

50代の厳しい女の先生で とてもしっかりとした大人だった。


きっと私は「まとも」で「しっかりとした大人」に 触れていたかったのだと思う。

安心感を感じていたかったんだと思う。

この人は 旦那さんと離婚して、一人娘とも死別し、親を看取って一人で広い家に住んでいた方だった。

彼女の孤独も 何となく感じ取っていて、それも私と同類のような安心感があった。

昼間は 正規の社員として 仕事もしていた。


うちの親の「無知」とも 担任の「青臭さ」とも違う。

社会でしっかりと自立して生きている女性。

そんな人のそばにいる事で、私は自分の将来に 安心を得たかったのかもしれない。


彼女も20年ほど前に 亡くなっている。



そう思うと、今の私は 当時の私が信じられないような暮らしをしているな😄


優しい旦那と散歩したり、一緒に洗濯物を畳んだり、掃除をしたり・・・。

先日は 孫ちゃんと嫁ちゃんと散歩して 楽しかったな。

自由気ままに 仕事もして・・・。

家事ロボットもあるから 家事も随分 楽になったよね!


なんて幸せなんだろう! 幸せな事だらけよ!



昭和と違って 価値観も随分変わったよ!

私は 良い世の中に向かってるとしか思えない!

少々 世界情勢は不安定だけれども、そんな事で崩れるような日本じゃないと思っている。

何より この国のトップである首相が「女性」よ! しかも賢い!

そんな時代になったのよ! 素晴らしいわ!!


そして 私を癒してくれるスタッフがいるのよ! 感謝よ!ありがたい!



あれから40数年経ったのね・・・😄


これからの数十年が楽しみだわ!



ちなみに私が引き寄せたかった事!

それは・・・「もっと多くの仲間」だ!😂😂😂


もっと 集まれ~~~!




今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました!



「あきらめ」を手放す【文太ママ】