文太ママ&彩加のブログ

2025.05.16 私が離婚した理由 ③ 決定打 【彩加】

皆さん、お久しぶりです!彩加です🌸

「私が離婚した理由③」、お待たせしました!


今回は、私が離婚を決意するに至った決定打について書いていこうと思います。


以前の記事でもお話しした通り、

私は元夫から“モラハラ”という精神的な虐待を長い間受けてきました。


それでも当時は、

「娘が小学校に上がるまでは、我慢しよう」

と心に決めていたのです。


そんな中で、離婚を決意する決定打となったのは

出ていく1年前に起きた、ある出来事でした。


私が26歳、娘はまだ1歳。


車で停車中に後ろから激しく追突される事故に遭いました。


私は後部座席に座っていたため衝撃が強く、

救急車で病院に行き、レントゲンを撮ると、首の骨がわずかに歪み、むち打ちと診断されました。


病院の帰り道、別の車で迎えに来た元夫にそのことを伝えると、

(事故に遭った車は破損が酷く運ばれた)


「大したことない。

医者が大袈裟に言ってるだけだ😡」


となぜか逆ギレ😂

さらにその夜、


「明日の実家の帰省は絶対に行くからな‼️」

と私に言ってきました。

翌日はちょうど年末年始の帰省予定で、

夫の実家まで片道5時間の車移動。


私は「首と腕が痛くて、とても無理」と断りました。


しかも夫の実家に行けば、

大勢の親戚の炊事・支度・後片付けを、

嫁である私ひとりがすべて任されるのが当たり前。


娘がどれだけ小さくても関係なし。

怪我をしていてもお構いなし。



私が断ると元夫は激怒し、


「そんなこと関係ない‼️絶対行くからな‼️‼️」


と、言い放ちました。

あまりに冷たく、心配のかけらもない態度に、私は泣き崩れました。


「なぜ心配してくれないの?」


そう訴えた私に、彼は更に


「心配してほしいなら、離婚しろ💢💢娘を連れて出ていけ💢」


と言い放ちました。


あの時の、心がズタズタに裂かれるような感覚😱

今でもはっきりと覚えています。

その夜は一睡もできませんでした。


翌日、元夫は私を無理やり救急病院に連れていき、

医者に「義実家に帰省していいか」の許可を取ろうとしました。

医者に圧力をかけ許可を取れば、長距離でも帰省して構わないと判断したのです😂


医者は「長時間の車移動はやめた方がいい」とはっきり言いました。


しかし元夫は、

「でも‼️いいですよね⁉️良いと言ってください‼️‼️」

とゴリ押し。


その強引さに、医者も渋々「まぁ…」と濁す形で許可を出すことに。


元夫は私の体の痛みも気持ちも、完全に無視していました。


そしてそのまま、

5時間の車移動と、嫁としての労働が待つ義実家へ連れて行かれたのです。


正直、彼がそこまでして帰省したかった理由はただ一つ。

「1歳の娘を両親や親戚に見せびらかしたかった」

それだけでした。


私という人間は、完全に軽んじられていました。



でも、

この出来事があったからこそ

自分が大切にされていないことを自覚し、完全に「離婚しよう」と決意できたのでした。



とはいえ、当時は娘もまだ小さく、私は専業主婦。


しかもその頃は、ちょうど土地を買い、家を建てる準備をしていたタイミングでした。


だからこそ私は


「せめて娘が小学校に上がるまでは、離婚は待とう」

と、思っていたのです。


しかし、その考えが覆る出来事が起きたのは、

新築の一戸建てに引っ越してから半年が経った頃でした。


新居に移っても、夫のモラハラは悪化の一途。

(これはお客様からも“あるある”としてよく聞くのですが…)

家を建てると、「嫁はもう出て行かない」と無意識に安心し、調子に乗る夫って、本当に多いんです。


我が家も、まさにその典型でした。


夫は常に私を見下し、高圧的な態度で威圧。

話しかけてくるのは、命令・小言・嫌味だけ。


私が少しでも世間話をすると「くだらない話をするな💢」と不機嫌になり、

テレビで笑えば「笑うな💢」と叱られる始末。


家事や育児は完璧を求められ、

新築ということもあって、少しのチリやホコリも許さない徹底ぶりでした。


そんな日々に、私はとうとう耐えられなくなり、家庭内別居に踏み切りました。


そして家庭内別居から1週間後、夫から話し合いを持ちかけられました。


私は「ほんの少しでいいから、優しい態度で接してほしい」とお願いしました。

けれど夫の答えは、決まってこうでした。


「俺は養ってやってる。良い生活をさせてやってるんだから、文句を言うな」


まったく話が噛み合わず、平行線。

このままでは何も変わらないと感じた私は、打開策として交換日記を提案したのです。


交換日記は、お互いに「感謝」を5つ以上、書き合うこと。

毎週末一緒に行うこと。

それを決めて、元夫も承諾したのでした。


私はどこか心の中で

「夫は不器用なだけなんだ」

「少しでも思いやりや愛を感じられたら、結婚生活は続けられるかもしれない」


そんなふうに思っていました。

びっくりするくらい希望を失わなかった若い私です🤣


そんな気持ちで始めた交換日記はやっぱり撃沈でした。



夫が書いたのは、私が“やった家事”という事実の羅列だけ。

感謝の言葉は一言もなく、しかも回を重ねるごとに、

文句と小言ばかりが書かれるようになっていきました。


「……この人、全然“交換日記”の意味、わかってないじゃん⁉」


そう愕然とした私は、

「もうこれは無理だな」と、日記をやめました。


でも、ある意味ここまで

あの手この手で結婚と向き合ってきて、そのたびに元夫が打ち砕いてくれたので後悔がないです😂



そして、このすぐ後に、

私の人生を大きく変える“運命の出来事”が起きました。




長くなったので、続きはまた次回のブログで書きます!





今、私が心から言えること

今の私は、母としても、キャリアウーマンとしても、

女としても、娘としても、全ての面で満たされています。


心の底から、

「私は自分の人生を生きている」と言える毎日です。


それは、チャネラーだからではありません。

私が自分の心に従い、

一つひとつを覚悟と行動で選び取ってきたからだと思っています。


その始まりにあったのが、離婚。


そして

元夫が徹底的にモラハラをしてくれたからこそ、

私は目を覚まし、今の私がある。


だから今は、

本当に心の底から「ありがとう」と思っています。



最後まで読んでくださってありがとうございました♬





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