文太ママ&彩加のブログ

2025.01.20 自分を貫く美しさよ【文太ママ】

昨日に続きになるのですが。

少々 お付き合いください。


買い物をしながら 母との会話の中で聞いた 初めての昔話。


母が父から聞いた話だ。

父はかつて地元の楽器メーカーの製造工場で働いていた。

父は昭和15年生まれ。

中学卒業と同時に就職した。その時、昭和31年。

当時はほとんどのみんなが徒歩通勤だったようだ。

みんなで、朝と夕方 何百人とぞろぞろ歩いて通勤していたのだ。


その中で一人、一際目立っていた人がいたらしい。

男性ながら、化粧をしスカートをはいて ずっと通勤していたらしい。


父は市内の別工場に転勤するまでの20年間、その方を毎日見掛けていたそうだ。

まだ昭和の田舎なので、彼・・・いや彼女は随分と有名な存在になっていたみたい。


父伝手に聞いた話を私に可笑しそうに話す母。

「変わった人もいたもんだねぇ。お父さんも笑っててさ。オカマみたいだよねえ。」

そんな母の心無い言葉を適当にかわし

「すごい人だね!そんな強い人が当時居たんだね!尊敬するなあ。」

と答える 私。 そんな私に

「へえ~?そう?ふうん???」

みたいなあやふやな返事を返す母。


母はきっと 私に同調を求め、一緒に笑って欲しかったんでしょうよ。


するかよ。


むしろ私は 一人内心 感動して泣きそうになっていた。


なんて強い人だろう!

あの時代に自分のしたい恰好を貫くのは、並大抵の覚悟じゃ出来ない!

今の令和の時代でも、自分に正直に生きるのは とても勇気のいることだ。

まして昭和なんて、みんなが他人軸で みんなが基準の時代だ。

「世間体」「外聞」「体裁」「男とは」

たくさんの思い込みと固定観念、決めつけ 枠・・・。

そんな時代だったよ。


きっとたくさん嫌な思いもしただろう。

陰口や嫌がらせもあったに違いない。

洋服一枚買うのも大変だっただろう。


ちなみにうちの母は背が高く(165㎝あります!)、当時 なかなか既製服が合わず苦労したらしい。

洋服も高い時代で、結局ブラウスなど手作りしていたらしい。


身体が男性なら尚更、どうしてたんだろう。

昭和30年代って、きっと今ほど選択肢はないはず。

自分で洋服を縫っていたんだろうか。

テーラーなどでオーダーしてたんだろうか。

どんな気持ちで 彼女が毎日紅を引き スカートをひる返し パンプスを履いて 歩いていたんだろう。

顔を見た事もない 名前も知らない彼女に思いを馳せる。


彼女を笑う うちの母や父には、彼女の葛藤や孤独は分からないだろう。

あと何千回 生まれ変われば、到達するのだろう。


何といっても、うちの母は

私が「そんじょそこらの馬鹿じゃ困る」と選びに選んだ

「選ばれし馬鹿」

なのだから!wwwww


だから私は阿呆を垂れ流している母の言葉を とがめない。

そんな無駄な事はしない。エネルギーの無駄だからだ。

「学ばない」と決めた 魂の真骨頂だ!


彼女は中年期の魂だろうか。

今もご存命なら きっと80代後半。

お元気でいるのだろうか。


彼女は素敵な恋をしたんだろうか。

愛し愛される素敵な事を経験したんだろうか。

会社を勤め上げたんだろうか。

楽しい事がたくさんあったらいいな。

とめどなく 彼女への気持ちが湧いてくる。


私は感動している自分の心に 彼女との潜在意識(もしかしたら霊?)も感じる。

私は潜在意識の力を信じているから、生きているのか亡くなってるのか分からないけど、彼女に語り掛ける。


あなたは頑張ったよ

美しく生きたよ

私はあなたの強さを尊敬するよ

あなたに賞賛を送ります

あなたの心を抱きしめるね

私も自分のしている事を信じるね


そんな事を思っているうちに

「自分を貫きたかった。貫き通したかった。」

そんな言葉が来る。


きっとそうなんだと思う。

私からたくさんの愛を送ろう。


そんな事を思いながら、車の運転をしていた。

母とは表面的な会話をしながら。

傍から見たら 仲の良い親子に見えるだろうねwww

全く 噛み合わない 心の通わない 親子の会話なんだけどねwww


こうして母を実家に送ったのでした😄


 







自分を貫く美しさよ【文太ママ】