2026.06.12 思っていたより山の中腹にいた私
先日、自分のことを内観していて、ちょっとガーン😨と来たことがあった。
私はどこかで、「もっと努力すればできるはず」「頑張りが足りないのかも」と思っていた。
でも改めて自分を見つめてみたら、
「あれ?私が思っていた場所に、私はいないぞ?」
ということに気付いたのだ。
自分では、山の8合目くらいまで登っているつもりだったのに、実際には5合目くらいだった・・・。
そんな感覚だ。
その瞬間は正直ショックだった。
「えっ、私まだここまでしか来ていないの?」
「もっと上まで来ていると思っていたのに・・・・」って😅
実際は、やる気だけはあっても、体力も頭も若い頃のようにはいかない。
経験は増えたけれど、その分、自分の限界や現実も見えるようになってきた。
でも、しばらくして思い直した。
「登山中に一番危険なのは、自分の現在地を間違えることだよね」って。
本当は5合目にいるのに、8合目にいると思い込んで登っていたら、
残りの距離も体力も計算が合わない。
「なんでまだ山頂に着かないんだろう」
「こんなに頑張っているのにー😵」
と、自分で自分を苦しくさせてしまう。
でも、
「なるほど、私は今5合目なんだな」と分かっていたらどうだろう。
そこから先の道のりもちゃんと見えてくる。
休憩を入れることもできるし、ペース配分も考えられる。
無理に、8合目を歩いている人の真似をする必要もない。
現在地が分かるというのは、後退ではなく前進するためのスタート地点かもしれない。
では、なぜ私はこんなにもショックを受けたんだろう?
それは、自分を過大評価していたからだ😂
さらに内観してみると、やはり子どもの頃から抱えていた思いにたどり着く。
(またかーーーーっ🤣🤣🤣)
母の視線の先には、いつも弟がいた。
小さなころから、私は、母から誰かや何かと比べられながら育ち、
無意識のうちに母の期待する「理想の娘」に近付こうと頑張ってきた。
常に母の方をチラッチラッと見ながら、
「こんなに頑張ってるんだから、もっと私のことも見てよ!」
と、弟と張り合いながら、心の中ではそう叫んでいたのだと思う。
「弟には負けたくない!」と、勝手に弟のこともライバル視してきたのだ。
結局、その母からの期待も、母自身の自己否定やエゴから生まれたものだったんだけどね😂
そして、私がいくら頑張っても、母の視線の先は弟へと注がれる。
それでも、どこかで「何かやっぱり違う」とも感じていたから、
私は親の期待通りには生きなかったし、自分のやりたいことを選んできた。
その一方で、
「親を悲しませたかもしれない」 「期待に応えられなかった」
という負い目もずっと抱えていたように感じる。
反抗していたつもりだったけれど、その負い目を感じていた時点でさえ、
私はずっと母の気持ちを優先していたのだなぁ💦
そう思ったら、「あぁ、やっぱり私は親の型にはまったいい子ちゃんだったんだな」
とわかった。(ガーン😨)
本当は、
誰かと比べられないこと。
頑張った私ではなく、そのままの私を見てもらうこと。
認めてもらうこと。
愛してもらうこと。
ただ、それだけで良かったのだ。
それなのに、いつしか私は、「もっと頑張らなきゃ」と、自分以上の人間になろうとしていた。
そんな生き方をしていると、理想の自分はいつも遠くにいて、
「もっとできるはず」「まだ足りない」が当たり前になる。
でも、その理想があったからこそ、若い頃の私は行動し、多くの経験を積むこともできた。
失敗もした。遠回りもした。
けれど、そのすべてが今の私につながっている。
だから過去の自分は尊いのだ。
そして、もう一つ気付いたことがある。
私は「思っていたより進んでいなかった自分」にショックを受けただけでなかった。
「5合目にいる自分には価値がないんじゃないか」って、無意識に思い込んでいたから、
現在地を認めたくなかったのだ。
今の自分を認めたら、自分には価値がない、愛されない気がして怖かったんだろう。
だから、「いや、私はもっと上にいるはずだ」と思いたかった。
でも本当は、私が私を認めてあげればいいよね。
私が私を愛してあげればいいよね。
現在地を認めることは、諦めでも負けでもなく、
次の一歩を踏み出すための、愛あるスタート地点なのだから。
実は、これはファスティングにもそのまま当てはまった。
私は何度もファスティングをしているけれど、3日間くらいは何とか頑張れる。
でも、その後が続かない😂
回復期1日目、夫に「これ作ったけど食べる?」と言われて、
角煮ラーメンと角煮丼をつい食べてしまった。
「今は食べれないよ」が言えなかったのだ。
美味しそうだったから、食べたかったってのももちろんある😂
でも、本当は無意識に、私はまた、自分より相手の気持ちを優先していた。
それがわかり、「あぁ、またやってたんだ😳」と思って、ちょっとショックだった。
せっかく作ってくれたんだから。
断ったら悪いかな。
そんなふうに、相手の気持ちを優先して、自分の身体の声を後回しにしていた。
これも、どこか母を優先してきた生き方と重なっていた。
そしてさらに気付いたこと。
そもそも、私が痩せたいと思っていた動機も、
「太った自分はなんかかっこ悪いし、嫌だなぁ」
という自己否定から始まっていたのだ。
山の話で言うなら、5合目にいる自分を否定して、8合目になろうとしていた。
だから、痩せてもまた戻る。
魂からしたら、
「いやいや😂 まだ5合目なのに、なんで8合目のフリしてるの?」
って話だったのかもしれない。
面白いことに、魂は何度も私に見せてくれていた。
「ほら、また太ったよ」
「それでも私を愛せるかい?」って。
これからは、太っている自分が嫌だから痩せるのではなく、
太っている自分も愛してるよ。でもね、自分の身体を大切にしたいから。
健康でいたいから。いつも頑張ってくれている身体を労わりたいから。
そんな理由で体重を落としていけたらいいな😂
それは自己否定からのダイエットではなく、自己愛からの選択で💓
これに気付いただけでも、なんとなく次回のファスティングは成功しそうな気がする‼🤣
本当の自分を直視するのは誰だって少し怖いかもしれない。
でも、現在地を認めなければ、本当に進みたい方向へは進めない。
そして何より、今の自分を否定し続けていたら、いつまでたっても自分を好きにはなれない。
だから今回は、「ダメな自分を発見した」のではなく、
「本当の現在地を知れて良かった!」ということ。
そして、そこにただ等身大の自分がいただけだったのだ。
8合目にいる自分に価値があるのではない。
5合目にいる自分にも価値がある。
山のどこにいても、自分は自分だ。
登っている途中にも価値がある。
立ち止まっている時にも価値がある。
迷っている時にも価値がある。
山頂に着いたから価値が生まれるのではなく、山を登っているその存在そのものに最初から価値があるのだ。
そして、等身大の自分を見つけたら、思っていたより小さかった~🤣
でも、その小さな自分もなんかいいかも!ってやっと思えた😂
今いる場所の自分を、ただ認めてあげよう。
5合目の私にも、ちゃんと価値があるのだから。
そんなことを思った内観でした✨
そして今回も、セッションでお客様のお話を聞かせていただいたり、セラピスト仲間に癒してもらったり、
サロンの皆さんの投稿を読ませていただいたりする中で、たくさん気付かせていただきました。
「あ、それ私もある😂」
と思ったり、
「なるほど、そういう見方もあるのか!」
と気付かせてもらったり。
気付けば私は、皆さんと一緒に山を登らせてもらっています。
セラピストとしてお話を伺っているつもりが、実は私自身もお客様からたくさん学ばせてもらい、
成長させてもらっている。
そんなことを改めて感じました。
一人で登っていると思っていた山も、振り返ればたくさんの人に支えてもらい、
一緒に登ってきた山だったのかもしれません。
時には立ち止まり景色を眺めたり、時にはお弁当を食べたり、お茶を飲んだりしながら😂
これからも、自分の現在地を大切にしながら、一歩ずつ登っていこうと思います。
いつも本当にありがとうございます😊🍀✨
ご予約はこちらからお願いします。👇
皆さんのお話、たくさん聞かせてください✨