セラピストブログ

2026.05.07 かわいそうとは

「かわいそう」とは一体何なのだろう。


病気のせいで呂律(ろれつ)が回らなくなった夫とは、会話がほとんど成り立たない。私が問いかけても反応がなく、以前からわかっていたこととはいえ、無視されているようで地味に心が削られる。


「悔しい、悲しい、私ってかわいそう」


そんな思いは消えたと思っていたけれど、ある朝、要領を得ない夫にまたイライラしてしまった。


私は彼に「選ぶ楽しみ」を与えているつもりだった。食事も「好きな組み合わせで食べられるよ」と声をかける。


でも、彼は何も考えず「ご飯でいい」と答えるだけ。自分でできることもやろうとせず、結局私が動くことになる。


こうしてお互いに「かわいそうな私」と「(甘えるだけの)ボクちゃん」という役割を作り上げ、そこに甘んじているのだと思う。


以前、意地悪な気持ちが湧いて、穏やかな時に夫へ尋ねたことがある。


「自分がかわいそうだと思わない?病気でどんどん不自由になるってわかっていて」


彼は一生懸命、回らない舌で答えてくれた。


「いや、夏香(私)に申し訳ないと思っている。全部押し付ける形になってしまって……」


涙を浮かべる彼に、私はあえて厳しく言った。


「もっと不自由になる前に、身の回りのことは精算しなきゃダメだよ。私にできることには限りがあるんだから」


そう言うと、彼はスンとした顔になった。現実と向き合うのは、やはりお互いに酷なことだ。


でも、この「かわいそう」をやり取りする関係はもう終わりにしたい。


「かわいそう」という感情からは何も生まれないからだ。


現状を知るきっかけにはなっても、そこにうずくまったままでは先に進めない。


進まないことも一つの選択かもしれないけれど、私は先に進みたい。


だから私は、ゆっくりと夫の手を引いて歩いていく。


彼がいつか言った「笑って逝けたら最高の人生だ」という最期に向かって。




現実を識った時、立ち上がれないほどの虚無感に苛まれることもあります。そんな時、誰かに話を聞いてもらうだけで驚くほどに心が軽くなる瞬間があります。どんな話でも聞きます。お待ちしています。

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