2025.06.20 信念という名の思い込み 2
1の続きです。
長かった子育てもあと少しだわ~と思っていた時、高校3年になった三男が突然不登校になりました。
晴天の霹靂でした。春休み中も普通に部活動に参加しておりいつもと変わりない生活だったのになんで?なんで今?
子育ては私におまかせの主人。丸投げで関わらないというわけではなく、むしろ外遊びなどは積極的にしてくれました。
ただ叱ることが下手くそで教育的道徳的指導はもっぱら私の役目でした。
役割分担だと思い特に不満もなく、どうせ出来ないんだから邪魔はするなよ・・・。くらいに思っていました。(おいっ!)
そんなわけで当初、三男の問題に対して主人が向き合えるかも不安でした。
三男のケアも大変なのに主人のケアまでしなきゃならないのか・・・と暗澹たる気持ちでした。
案の定、主人は狼狽しまくりました。 三男を怒鳴りつけては落ち込む。 「仕事が手につかない・・・」と取引先とのアポを
キャンセルして帰宅する。などなど・・・。
しっかりしてよ!男だろ!大黒柱だろ!仕事しろ!と心で叫び 「私がしっかりしなくては」という思いが私をしめつけました。
とは言ってもしめつけられた状態で我慢が長く続くわけもなく・・・。
堪え性のない私がイライラする→そんな私に主人が動揺する→三男をギャン責めする→三男が更に疲弊する→3人総疲弊
という負のループを繰り返しました。
そうしながらも夫婦でたくさん話しをしてお互いの気持ちをすり合わせ、主人も色々と覚悟が決まっていったようです。
もともと口下手な主人が一生懸命に三男を諭そうと努力をしていました。色々ズレているけど一生懸命なのは伝わってきました。
普段父親を小馬鹿にしていた息子も黙って聞いていました。(多分、あまり刺さってないけど😅一生懸命は伝わったかな)
これからの事を息子と3人、何度も話し合いました。甘くて軽くて当事者意識の薄い三男に呆れたり、不憫に感じたり、
怒りが湧いて来たり、何が足りなかったのだろうと育て方を振り返ったりと、モヤが晴れない日々でした。
こんな感じで家族は行ったり来たりの迷走を続けていたのですがそんな折、幸か不幸か私が入院する事態になりました。
彩加さんから「つぐみさん、背負いすぎ!もう病気のフリをして下さい。このままでは本当に病気になりますよ。」と言われていたのですが、
本当に病気になりました。 それによって強制的に家族と距離を取ることが出来たのです。なんか知らんけどうまく回っている感じもしました。 10日ほどで退院したのですが、正直帰りたくなかったwww
私がいない間の主人の頑張りもあり学校に戻り始めた三男。 私の体力が回復した頃、学校、塾の三者面談が続きました。
面談予約の段では本人が面談に参加しない形になってしまうかも・・・と言う状態でしたが、両面談ともとりあえず親子で
臨むことが出来ました。今までは私一人がこなしていたのですが、今回から主人も加わりました。
三男は教師に恵まれています。学校の担任もですが塾の先生がこれまた素晴らしい人で大人も引き込まれるくらいの話をしてくれました。
受験のテクニックとかではなくこれからどう自分を創っていくのかを具体的にわかりやすく話してくれます。
自分の仕事に誇りと愛を持っているのが伝わってきました。
最初腐った魚の目をしていた三男の目つきが変わったのが見て取れました。最後に模試の日程を提示されて
面談は終了しました。
そして事件がおきます。
塾を出てすぐ、三男が呟いた言葉に私は驚愕しました。
「8月の模試の日って推しのライブなんだよなぁ」
「はっ❓️何言ってるの⁉️💢💢💢💢💢」
このあと、私は西岡すみこになります。
人生で2回目です。(2回目かよっ!)
つづく