セラピストブログ

2025.05.16 被害者で生きる=主人公の座を捨てる事

-被害者で生きることの虚しさよ-


誰かや何かを加害者にして理不尽さを嘆き、あげくにそれを奮起の材料にして生きて来た。


「誰か」とは私の場合は、[父]そして[夫]


被害者は一見かわいそうでいて、実は気楽な商売だ。


人のせいにしていれば、ラクだ

もの。


責任放棄しちゃうもんね。


でもそれは自分の人生じゃない。

主人公は私のはずなのにね。


私は発言権選択権も与えられていないじゃない?ひどい😭

と嘆いてるだけで、覚悟を決められない、そんな自分から目を背けている。


加害者に選択を託して、死んだ目をしてその選択結果に乗っかる。

悪かったらアンタのせいだと呪い

よかったら良かったで、陰で支えたのは私なのにと恨めしや。


結果、またここでまた被害者をやる。


丘を転げ落ちる雪玉のように。 

被害者意識という名の雪を吸着しながら転がる。どこまでも。

土やら落ち葉やら得体の知れないモノまでかき集め、

気づけば、汚い大きな雪だるま。


あーあ、結局損してるのはアタシ。

自分の人生を捨てちゃったよ。


もう、やめよ。

いまさら遅い?イヤ遅くない。

このまま死んだら….…

悪霊になっちゃう💦


悪霊になりたくない皆さま

被害者意識を手放して、主人公の座を取り戻しましょう!

さあ!ご一緒に

被害者で生きる=主人公の座を捨てる事