2025.04.20 深堀り祭りの後につらつら考えたこと🌿✨
前回のブログを書き終えて、
まずは息子の名誉のためにお伝えしますが、その後の息子は物事をよく考えながら成長し、結婚後は家族を支え、職場メンバーの心のケアも任される穏やかな大人になりました。…たぶん?😂
娘も近場で一人暮らし中に起業し、その後は自分ペースで仕事に趣味に、真っ直ぐ生きていく素敵な女性になったと思います😊
ひとまずご報告を✨
それから私です。
まさに内観深堀り大祭り(大血祭り?w)だったなぁと思います。
性被害を経験した方々の魂からの声のおかげで、見ぬふりしてた大きな蓋に目を向けることにつながりました。
心が痛む経験をシェアして頂き、ありがとうございました。
自分の心をかなりえぐってヘトヘトになりましたが、溜めていたヘドロを吐き出すことができて本当にスッキリしました。
そして大きな蓋は開いたためか、その後もポツポツ浮かんできた事がありました。
それが今回のお話です。
子供時代の私は、母親の愚痴に影響され感情を抑え込むことで人間不信になりました。
感情に振り回されない(感じない)ことがクールでカッコ良いと思い込み、周りに無意識の威嚇の壁を作っていました。
その結果、必要な常識を欠いたり、人の気持ちに疎くなったりし、社会生活の中で何か足りない空っぽな感覚に囚われ、「ちゃんとした」「完璧」というお手本がないと不安で仕方なくなりました。
空っぽと思われたくない、侮られない人間になりたいと、哲学や心理学、宗教の教義などから学び、実母とは違う「ちゃんとした人生」を過ごしてると思い込んでました。
結婚し、子どもができたら母親の子育てとは違う「ちゃんとした子育て」を目指し、自信満々になってました。
しかし、それがあの出来事によって崩れ去りました。
頭を殴られたような衝撃でした。
そもそも「ちゃんとした」ってなんでしょう?
「完璧を目指していた」ってこと?
じゃあ「完璧」って一体どこがゴールなんでしょう?
「ちゃんと」なんて誰が決めたんでしょうか。
結局私は、「世界中に認められる完璧な形」があって、それに向かうことが「人としての成長」であるという思い込みの中に答えを求めていたようです。
でも今だからわかりますが、そんな中身がない虚飾の世界はあっという間に壊れます。
だから踏ん張っていた未熟な私が事実に耐えられず、記憶に蓋をしてしまいました。
今思えば、それぞれの心の中にある最良を目指すことが大切だったのです。
当時はあれが私の限界で、それ以上でも以下でもありませんでした。
しかし同時に、私はそこまで空っぽだったというわけでもなく、皆もそれぞれで生きていて、人生そういうものだと今は受け入れられるようになりました。
そして、過去の私を受け入れられると、弱さを直視できずに逃げ出した多くの前世や、若く未熟な母親の私が衝撃を受けた「後ろめたさ」が、その後の身内で起きたいくつもの厄介な出来事から逃げ出さず向き合っていく力になっていたと、すとんと腑に落ちてきました。
「逃げる勇気を持つ事」が今世のテーマの方もいらっしゃるでしょうが、私は「真摯に、逃げ出さず向き合う。」を心に刻むことが、今世の目標だったのだと理解したのです。
過去を癒し、辛かった気持ちを吐き出せた今だからこそ、どの場面の私も精一杯頑張っていたことや、当時の私や子どもたちが受けた傷があってこその今の私たちになれた事を、これまで以上に実感できました。
全ての経験が、今世の私たちに必要だったと。
そして、「未熟で失敗する私」でも、失敗を含めて私であることを認める事ができました。
私はこれを腑に落としたかったのです。
腑に落とせたら、過去の後悔を信頼し手放すこと、もっと心にゆとりを持って生きる自分でいること、それらを許せるようになりました。
心の蓋はまだまだあると思いますが、どんな私も置いてけぼりにせず、私や私自身に関わる人たちの心を大切にしていきたいと思います。
長文を読んでいただきありがとうございました🙏💓✨✨
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これを読んでくださった皆さまも溜めたお気持ちを吐き出してみませんか?
心の蓋を外すことへの恐怖や、外したら外したら出てくる辛い感情が怖くて避けたい気持ちになる方がいらっしゃるかもしれません。
でも、それは今の貴方だからこそ感じられるようになったのです。
それに、「その感情はもう終わりにしていいよ。」という合図かもしれません。
まずは「あの時自分は精一杯頑張ったよね。」と、当時の自分を思い出して声かけしてあげるだけでも心が楽になってくると思います。
そしてそこからの深掘りが難しいと感じたり、湧いてくる不安や恐怖感に翻弄されそうな時、セラピストが盾になって皆さまの側で心を支えるお手伝いをいたします🛡✨
皆さまの癒しに、どうぞ私達を使ってください。
いつでもお待ちしております😊💓