セラピストブログ

2025.03.26 「寂しい」を迎えに行きました

最近何か心が定まらなくて虚しさと焦りのようなものに囚われておりました。

具体的に揺さぶられる何かがあったわけでもないのに…。

自分の感じ方や対処の仕方が間違ってる?足りない探しを始めてる?

生きるのがしんどかった以前の自分に引き戻されているような、

ダメ沼のほとりで沼に足を取られているような感覚…。

そんな自分を感じることさえ出来ないでいて、ママさんの誘導で言語化できた次第です😅

イメージした自分は愛を受け取る事さえ拒否しました。

癒されたくない。

掘られたくない。

潜在意識の私はリアルな私の「癒し」と言う期待に応えたくない。

そんな感じです。

インナーチャイルドを出してみました。

なんだかボーっとしています。

気持ちが伴わない6歳の私です。

諦めと言うか、仕方なさと言うか

感じてもしょうがない…。

何十年も生きてきた老人が喜怒哀楽に対して鈍くなっているのと似ていました。

「老年期ならではだね」とママさん。

父、母、姉、妹を並べてみました。

みんなそれぞれの魂年齢です。

原家族の面々を前にして恨みや悲しみの感情は湧きませんでした。私なりに家族を愛してはいたと思いますがそのような感情も湧きません。

しばらくして

「寂しい」と言う思いがポトンと降りてきました。

老年期の私と若年期界隈の家族。

老年期が偉いと言う訳ではありませんが

真に繋がれなかった事が寂しかった。

今まで生きてきた中で色々な人たちと縁がありましたが、いつも寂しかったんだなぁ…。

私の魂は寂しかったんだ…!

そこに気がついて涙が出て来ました。

寂しさや悲しさの涙ではなく、腹落ちした事での涙でした。

今、ママさん彩加さんと繋がりサロンやサロメンと繋がり癒しの館の仲間と繋がって

ようやく寂しかった魂が安堵している。

だからこそ幼少期の「寂しい」を迎えに行けました。


現実の生活の中では焦りや苛立ち自己否定と言う形でそれが現れました。

わかりにくい!いや!わからんからっ!

癒すための知識があっても(あるからこそ?)自身の事となると沼にハマってしまいます。もともと理屈を合わせていって納得するめんどくさいタチなので😅


あらためてヒプノセラピーの凄さを感じた出来事でした😊


今も私の(私たちの)仲間がどこかにいる。きっと寂しさを抱えながらそれに気づかず、それをねじ伏せて一生懸命生きている。

いつかお会い出来るのを楽しみにしております😊

「寂しい」を迎えに行きました