セラピストブログ

2025.12.09 母のようになりたくなかった私が気づいたこと



「あなたたちがいたから、離婚できなかった」


その一言は幼かった私の心にズドンと落ちてきました。そして「母のようになりたくない」と言う思いを強固にしました。


けれど気づいてしまった…!

「なりたくない」は「なりたい」と同義だった!

私は「なりたくない」その母を基準に生きていたのです。


母は、弱い人ではありませんでした。

むしろ「弱さを使うのが上手な人」だったと思います。


家庭の不和は、本来は大人同士が引き受けるべき問題です。

それを「子どもがいるから仕方ない」「あなたたちのために我慢している」と語ることで、

人生の選択の責任を、静かに子ども側に移していく。


直接的に責められたわけではないのに、

ずっと「申し訳なさ」だけが残る。


これは私だけの話ではなく、

似た空気の中で育った人は、決して少なくないと思っています。


親の愚痴の聞き役になる子ども。

「あなたのため」の言葉に縛られる感覚。

守られているはずなのに、どこか重たいあの感じ。


私はずっと、「こうはならない」と思って生きてきました。

被害者にならない。

誰かの不幸を、背負わない。


でもあとになって気づいたのです。


私は母を反面教師にしていたのではなく、

ずっと母を“基準”にしていただけだったのだと。


私は母と違うかどうか、

それが自分の選択を決めていたように思います。


自由に生きているように見えて、

母の影の中で自分の立ち位置を決めていたのです。

(無意識こわっ!)


母はコロナ禍に亡くなりました。

看取ることはできませんでした。

最期まで「可哀想な私」を貫いた人。と感じました。

今は母の思惑のようなものを感じることはありません。

けれど、思考の癖や感情の反応の中に

これは母の影響だったのかもしれない、

そう思う瞬間はあります。


それは、母を責めたいわけではなく、

母を否定したいわけでもありません。


ただ——

私の人生を、私の手に取り戻したいだけです。


これは「親を許す話」ではありません。

「親に感謝する話」でもありません。


これは、自分自身の輪郭をはっきりさせる作業の話です。


親がどうだったか、よりも

自分の中に“何が残っているか”を見ていくこと。


感情なのか。

思考のクセなのか。

役割意識なのか。


それらを一度、分けて、整理して、距離を取る。

それはとても静かで、とても現実的な作業です。


この整理は、自力でもできます。

けれど、セラピーやカウンセリングのように

安全に感情を扱える場があると、深さが変わります。


誰かの物語を生きるために、生まれてきたわけではない。

誰かの不幸の続きを演じるためでもない。


もし、あなたの中にも

「親のようになりたくない」が残っているのなら。


それは冷たさでも、わがままでもなく、

あなたの健全さなのだと思います。


母を否定するためではなく。

母を断ち切るためでもなく。


ただ、自分の人生の主語を

もう一度、自分に戻すために。


そういう整理も、きっとあっていいのだと思います。


よろしければそのお手伝いをさせて下さい。


ご予約をお待ちしています😊


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母のようになりたくなかった私が気づいたこと