セラピストブログ

2025.06.26 信念という名の思い込み 3

2のつづきです。

塾の面談を終え、駐車場に向かって歩いていると

8月模擬試験の日程が推しのライブと被ると呟く息子に「はっ?」となると同時に怒りのボルデージが上がった母でございます。

少し前を歩いていた主人は私が何をそんなに怒っているのか???でした。

車中でも私の怒りは言葉になって息子をなじりました。

この局面で何言ってるの? 自分の立場わかってる? ふざけんな! もう塾も学校もやめちゃいなよ!

そんな事を言ったと思います。怒りマックスではっきり覚えていません。


不登校君は苦しんでいます。全肯定しましょう。責めてはいけません。

暖かく見守りましょう。本人がやりたいと思うことを尊重しましょう。間違いは優しく諭し導きましょう。

スクールカウンセラーとか、その手の書籍とか、児童心理の偉い先生方とか AIも 大体そんなそんな感じです。

そんな事を気に留めながら努力をしてきましたとも!そんな「理想」と葛藤しながら私の怒りは言葉になって吹き出しました。

吹き出しながらも「だめ!だめ!だめ~!こんな風に怒っちゃだめ~!」と言う気持ちもありました。

このときはまだすみこ化しておりませんでした。

帰宅すると息子はそそくさと風呂掃除を始めました。

主人に怒りの理由を話しながら風呂場を通りかかると「1年前から予約していたんだ。模擬試験は自宅受講で・・・」とのたまう息子。

前回も前々回も模擬試験を自宅で済ませた息子。

コロナ禍の影響か知りませんが、本来学校で一斉に受ける試験を自宅で個別に受ける事が出来ます。

自宅での模擬テストはコロナやインフルエンザなどののっぴきならない理由で受けるのにはありがたいシステムです。

ですがそのために試験用紙を取りに行ったり期日までに返却したりと親と担任に負担がかかってんだよ!!!

夏の模擬試験は秋の大学選択に大切なデータになります。決められた場所、時間で模擬試験に挑むことも

本番への準備体操です。2回続けてお気楽な自宅試験をした息子にとってはなおさらです。

大学に行きたいと言いながら、本当に甘い。軽い。当事者意識がない。このクソダメ男!!!

私の中にいた小4くらいの息子が(いた事にびっくりなんだけど)粉々に飛び散りました。

体ばかり成長したただのくそ人間を眼の前にしてついに西岡すみこが降臨しました。

「あ”ーーーーーーっ!!!」ヽ(`Д´)ノ「あ”ーーーーーーっ!!!」ヽ(`Д´)ノ「あ”ーーーーーーっ!!!」ヽ(`Д´)ノ

発狂しながらも「ご近所に聞こえてしまう!!!」 と冷静な私がタオルで顔を抑えました(無駄)。

それでもすみこを止めませんでした。気が済むまで、疲れるまで 叫びました。

怒りなのか悲しみなのか苦しみなのか形容しがたいエネルギーを放出しました。

頭も首も肩も背中も痛くなるほど叫びました。自分が放出したそれのエネルギー量に我ながら驚きました。

叫び終わった私は真っ白な矢吹ジョーでした。


頭を冷やしたいのと息子から離れたいのとで車で近くのコンビニ駐車場に・・・。

知人に連絡をして起きたことを話ながら自身で反芻しました。

そして気が付きます。

息子が学校に行けなくなってからの数ヶ月、母親として鬱積した感情が吹き出しちゃった・・・?

否、上二人を育てていた時からの子育ての鬱積した思いだったのです。

自分の生育歴から「親のような子育てはしない!私のような苦しい人間にしたくない!」という思いで子育てに向かっていました。

「子どもの心に寄り添う」 「心身共に健やかに育てる」 「心の自由な子に」

(もちろん失敗だらけですが、常にそう心がけておりました)

子どもの幸不幸は母親である私次第。子どもが軽やかに人生を生きれるか否かは母親である私次第。

と強く思い込み、それは信念であり、私の人生の支えであり、私の幸せへの指針でした。

指針であったはずのそれはいつの間にか(最初から?)私を縛る重い枷になっていたのでした。

一見すると立派な心がけのようですが私のゆらぎない信念を逆さにすると

私の幸不幸は子どもである息子次第。私が軽やかに人生を生きれるか否かは子どもである息子次第。

と言う大きな落とし穴があったわけです。

息子を通して自身のインナーチャイルドを慰めようとしていたこと、不純な動機ゆえ子育ての失敗が怖かったことなど

を認めつつ、そうするしかなかった、当時の私にはそれが最善だったと自分を許し労いたいと思います。

そして「もういいよね」と声をかけたい。

私の中にいた小4息子が飛び散ったのは昇華であったと理解しています。

息子の言動で降臨したすみこですが実は私が私に対して発動したように今は感じています。

潜在意識が「違うだろーーー!あ”ーーーーっ!」ヽ(`Д´)ノ って叫んでいたのでしょう。

もう誰のためでもなく自分の穏やかな人生のためにしっかり生きていくぞと決めた夜でした。

帰宅後、息子から「自分が間違っていた。ごめんなさい」と謝罪を受けましたが

嫌味でも当てこすりでも期待でもなく「謝罪は結構。私はもう自分の幸せのために生きる。あなたはあなたが思うように生きなさい」

と伝えました。

その後主人と話し合いました。

「別に見捨てるとかじゃないし、意地悪しようとかも思ってないよ。ただ、もう、息子の問題には関わらない」と伝えると、

「そうしていいと思う。俺が向き合うから、あいつは昔の俺に似てるし。」と主人。

子どもは母親との縁が深い、子どもと繋がるのは母。という思い込みもあったかもしれません。

離婚寸前だった我が家に、不妊の私に、突然やってきた息子です。

息子は主人と約束があって生まれてきたのかも・・・。と思ったりもしました。

そして息子、あれから毎日学校、塾にと休みなく生活しています。まだ数週間しか経っていませんが

不器用な父と不器用な息子がなにやら一緒に紡いでいるようです。

二人に愛と敬意を込めて言おう・・・「どうでも良い❤」

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不登校などの子どもの問題行動について、どんな対応が正しいのかはわかりません。

私のようにすみこ化するのは推奨しませんがw(スカッとするけど)

周りの意見やアドバイスに耳を傾けつつも「本質」を知るのは自分自身です。

渦中にいると色々混乱しますが、行ったり来たり泣いたり暴れたり(えっ?)しながら自分の答えを掴むしかないですね。

よろしければいつでもお手伝いさせて頂きます。

すみこ化しないので安心して下さい。


都合のため

6月30日(月)昼の部

7月3日(水)~ 7/13日(日)はお休みいたします。

詳しくはセラピストつぐみのカレンダーを御覧ください。











信念という名の思い込み 3