2025.09.29 「レスポンス(反応)の連鎖」「選択の連続」について【文太ママ】
今回も 続きのような内容で書いていこうと思う。
それは「レスポンス(反応)の連鎖」「選択の連続」について。
これも動画内だったり、ライブでも話してきた事があったと思う。
ここではもうちょっと 掘り下げて書きたいと思う。
神秘体験を通して 見せられたのは「私自身」の態度や所作についてだった。
当時の私は 中学校ではクラスでも部活内でも 無視され、からかいなどの対象だった。
家では父親と毎日大喧嘩しており、家での居心地は最悪だった。
神秘体験で あれほどの感動的な世界を魅せられ、私自身に「生かされている」と実感した一方で。
私自身の取っていた態度や所作が 脳内で映し出されていた。
とにかく「態度が悪い」の一言だ。
当時の私がしていた態度は ひどかったと思う。
何せ、ひねくれている。
無表情か不機嫌な表情、でなければ「侮蔑」のような表情・・・。
私が態度に出していたものは「拒絶」「不機嫌さ」「不信」「反抗的」・・・etc。
出してる言葉も 「嫌味」「悪口」「否定的」「自嘲」「拒絶」だった。
まるで警戒心剥き出しの 愛に飢えた野良猫が、フーフー言って
「懐くものか!」「騙されないぞ!」といった態度に似てる。😅
そして「愛されていない」「愛を知らない」事を気取られぬよう 精一杯の「虚勢」を張っている。
私は 可哀想じゃない!放っといて!と。
感情に蓋をし、これ以上 傷つかないように 精一杯「平気なフリ」をしている。
これは 嫌われて当然だわ・・・と思った😅
だって 私だってこんな人 可愛げが無さ過ぎて、取り付く島もなさ過ぎて、無理だわ💦💦💦
これは 誤解を生む!
それまでの両親からの 無関心、八つ当たり、暴言にさらされて来た事で
家庭内で身に付けてしまった 悪癖だ。
子供だから 仕方なかったし、そうやって自分を守るしかなかったのだから、と今なら思うけど。
それでも。
その悪癖を そのまま学校に持ち越してやっていたのだから
そりゃあ 嫌われるよね💦😅
同級生の中には 私に厚意から 声を掛けてくれた人もいた事だろう。
しかし当時の私には、 両親も意地悪な人も 親切な人も 区別がつかなかった。
まあ、当然と言えば当然なんだけれどね。
一番 信頼出来るはずの両親と 信頼関係がそもそも築けないのだから。
むしろ 笑ってれば「何笑ってるんだ!」と嫌味を言われたり
傷ついた顔をしようものなら「ほうら、見た事か!」と言わんばかりに口撃を仕掛けて来る。
私の育った家庭は 「安心」とか「愛」とかから 遠い遠い場所だった。
そんな中で身に付けてしまった 私の「鎧」。
だから 笑顔で話しかけられても「裏があるんじゃないか」と訝しがり
親切にされようものなら「え?なんで?」と思い
出た言葉は「いいです!」(拒絶)という言葉。
ことごとく受け取り下手だった・・・。💦
脳内で再生されている 相手の顔や表情には
「ガッカリ」とか「声掛けて損した」という怒り
私に嫌味で返されて「二度と話しかけるもんか」という決意が表れていた。
私は 毎日毎日 毎日毎日 やらかしていた。
勿論、無視やいじめて来る奴は 無理して好きになるように 努める必要はないと思う。
そんな奴には 塩対応でいいと思う。
でも普通に接してくる人、厚意で来る人にまで 私は最悪手で対応していた。
私は 味方を作らず、わざわざ敵を作って 増やしていた。
そして四面楚歌にしたのは、まさしく「自分」だった!!!
「私かーーー!私じゃーーーん!!私かよーーー・・・💦」
それはもう ヘレンケラーの「ウォーター」並みの気付きだった!😂😂😂
人が声を掛けて来る。
それを どの表情で どういう態度で どんな言葉で返していくのか。
無意識に あるいは意識的に「選択」するのだ。
脳内に輝く 眩い「光」は 「レスポンスの連鎖」と「選択の連続」なのだと 私に優しく教えてくれる。
人からの声掛けから 私が「反応」したら、それに返すように相手も「反応」する。
「愛」は「愛」で。
「信頼」は「信頼」で。
「笑顔」には「笑顔」で。
ただ「反応」として「返って来る」と教えられた。
そしてその瞬間、どの態度、言葉、行動を「選択」し、その都度 世界は「分岐」していくのだ。
「笑顔」で返すのか、「仏頂面」で返すのか。
「信頼」で受け取るのか、「被害者意識」で受け取るのか。
それだけで相手の「反応」は変わり、その瞬間 「分岐」していくのだ。
あなたや私が取った「選択」で「反応」し、「反応」によって「分岐」していく。
その瞬間瞬間が「反応」の連鎖で「分岐」し続け、その「選択」の連続で人生が紡がれていく。
「私はもう あの地獄のような場所に戻りたくない!」
私はそう決意して、「笑顔」を心がけようと思った。
急に 愛想良く出来なくても「普通に挨拶する」くらいはしよう。
ツッケンドンな態度と取られないよう、気を付けよう。
とにかく 自分の態度や表情を客観視していこうと思った。
それからは「無視」や「いじめ」は和らいだ。(完全に無くなってはいない😅)
それでも そこからの中学時代は孤独だったのは変わらない。
でも残り一年の中学生活は 「割り切って」淡々と行こうと思った。
それは未来の自分の為に必要な事として、割り切ろうと思ったのだ。
これを乗り切ったら きっと私は 自分に自信が付くだろうとも分かっていた。
もし自信が付かなかったとしても それでもいい、とも思っていた。
なぜなら 私には私を支える「光」(ハイヤーセルフ)の存在を知ったからだ。
私にはたくさんの「鎧」があり これを一つ一つ解消していかなければいけない事は 何となく分かった。
それをやり切らなければ 私の今世の人生は 終えられないのだという事も 何となく分かった。
神秘体験を通して 「救い」も「感動」もあったけど
むしろ私には 乗り越えねばならない「壁」が 分厚く、高く高くそびえているのも感じ取ったのだ。
🌸「選択」についての補足をします。
私達は 常に「選択」をしています。
何気なくしている事も 仕事であれ 趣味であれ、結婚 子育て・・・
「コーヒーを飲もうか。それとも紅茶を飲もうか?」という日常の細かな場面でも。
意識して、そして無意識に しています。
中には「私には自由がない!選ぶ余地なんてないよ!」という方もいらっしゃるでしょう。
そんな方も「人に委ねる」あるいは「私は選ばない」「選べない」という「選択」をしているに過ぎないのです。
そんな方は、自らを「脇役」のようにおいて 生きているのかもしれません。
でも本当は 一人一人が 自分の人生の「主役」だという事を知って欲しい。
そう気付いたら、自分自身の人生にも「選択権」があるんだと思い出せるでしょう。
そして今までも「無意識」に 色んな事を「選択」して来たはずです。
それを「意識的」に「選択」するだけでも 自分の人生を取り戻せるはずです。
🌸「分岐」について少し語らせてください。
たくさんの「選択」と「反応」から その瞬間「分岐」していきます。
大きなものでは「マンデラエフェクト」と言われるような 現象も起きるでしょう。
こうして無数の「分岐」した平行世界が 存在します。
しかし、運命の道筋で 大方の筋書きを決めている人には
「最終的にはどこから行っても同じ『ゴール』に行きつく」
と、決めている方もいるでしょう。
魂が若い人ほど、そういう傾向にあるかも知れません。
わかりやすく言えば、目指している目的地に
歩いていくのか、車で行くのか、自転車でいくのか、スキップしていくのか
大通りから行くのか、裏道から行くのか、近道から行くのか
どこから行っても、「コンビニに着いた!」となるかも知れません。
それが人によっては、
「たまたま今日 この道を通ったら 素敵な人と出会えた!」
という事があるのかもしれません。
それはそれで それぞれの運命のままに・・・でしょう。
だから人生は面白いと思うのです。
私は神秘体験を通して、自分を客観視する事を意識するようになりました。
そして「自分で起こしている」と言う事にも 気づけましたね。
しかし、それとは別に 恨みや怒りなどネガティブな感情は 癒すなどして解放しないと
まちがった「選択」をしがちです。
自分の無意識がどこに向かっているのか、何を選択しようとしているのか
向き合っていく事も大切です。
ヒプノセラピーではそれが容易になります。
このサイトには それを手助けしてくれるセラピスト達がいます。
是非、頼りにしてくださいね。
今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました!