セラピストブログ

2024.12.14 祖母と母と私

朝、家族が出払った後のお片付けタイムがしばしば内観タイムになる。

食器を洗いながらふと小学生のころを思い出した。

多分低学年だった。父が胃潰瘍の手術で母は毎日病院通い。術後は泊まり込みで付き添った。

母方の祖母が私たちの世話要員でやってきた。ある日暇を持て余した私は祖母に何も言わずに自転車で隣町の母の友人宅を訪ねた。

ひとしきり遊んで帰ると、「つぐみがいない」と祖母とご近所さんでちょっとした騒ぎに・・・。

気ままな中間子だった私は「明るいうちに帰宅したのに何を大げさな・・・」と思っていた。(こらっ!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!)

父が退院し、田舎に帰る祖母を家の近くまで母と見送った。

「おばあちゃん、また来てね!」と声をかけると

「つぐみがいい子になったらまた来るでね」と祖母。

私は意味が分からなった。 いや。 わかるんだけど・・・。 何それ?

勝手に出かけて心配かけたから・・・?悪い子と言われたようで軽くショックだった。

今思い出すとつぐみ行方不明事件の夕方に帰宅してきた母は状況を聞いても私を叱らなかった。

つぐみがいい子になったら・・・と祖母が言った後も母はそのことについて何も言わなかった。

いつもきつめの小言を言う母が。である。 そうよ!と祖母に同調しなかったが私を庇うこともなかった。

半世紀前のほんの少しの揺らぎが私の中にまだ生きている。

小さいつぐみを慰める。 安心するまでぎゅっと抱きしめた。

祖母の思いがけない言葉に。傷つく場面かも良くわからないという表情のつぐみを抱きしめる。

傷ついたね。悲しいね。悪くないのにね。どんな言葉が届くのだろう。どうもしっくりこない。

身を固くしているその子をただ抱きしめた。

そうしながら祖母の中を感じてみると

「はやく田舎に帰りたい。職場に戻りたい。みんな私を利用している。

大正生まれ戦争未亡人の祖母は苦労が多かったし被害者意識も強い

母の要請に「仕事があるで・・・」と断ろうとしたが

「困っているから頼んでいるにに助けてくれないのか!」と母に詰め寄られ

しぶしぶやってきた祖母だった。

でも、祖母の気持ちもわからんでもない。

被害者意識の強い祖母にこれまた被害者意識の強い母が祖母の罪悪感を揺さぶるのである。(こわいわ~っ(~o ̄3 ̄)~)

祖母はほぼ無意識に子どもの私にジャブを打ったんだわ。(シャブじゃないよ~)

そして母にも思いを寄せる。当時は胃潰瘍でも開腹手術だし、完全看護もないし。車の免許もない母は毎日自転車で片道30分はかかった病院に通った。

母も頑張っていた。

つぐみも悪くない。おばあちゃんも悪くない。おかあさんもね。

誰も悪くない。おばあちゃんもお母さんもつぐみちゃんもみんなそれぞれ頑張ったよね。

祖母と母に愛を送り空に返す。

抱きしめていたつぐみちゃんも安心した様子だった。

小さな自分と祖母と母を癒した。

ママさん、彩加さんが亡くなった人間でも癒すと来世が良い方向に変化する・・・みたいな事を語っていたと思う。

祖母も母も何かが楽になっていればいいな。

ちょっ!待てよ~! アテクシったら祖母&母孝行な娘じゃねっ???

キッチンで淹れたてのコーヒーを立ち飲みしてご満悦の私であった。

















祖母と母と私