2025.10.02 心の叫び-失明の恐怖から視力1.5へ-
セラピスト🌿葉月のブログを開いてくださりありがとうございます。
最後まで読んで頂けたら幸いです。
世の中には、科学では説明のつかない事がある。
原因不明の身体の不調もそのひとつ。
私の場合は視力の低下だった。
原因を突き止められないもどかしさ、そして失明の不安を抱きつつ過ごした4年間。
この時の私を振り返ってみたいと思う。
結果からいうと、ありがたいことに現在は視力が回復している。
本当に夢のようだ〜😭
この4年間で味わった危機感は、本気で自分と対話するために、自らが仕立てた背水の陣。今となってはそんな気さえしている。
発覚は5年前。コンタクトレンズ店の視力検査で言われたこの一言。
「どんなレンズを入れても見え方が変わらないようなので、早めに眼科の受診をして下さい」
早速、近所のA眼科を受診した所
「眼球には問題無し!半年後に再診を」
その後の受診は
2021年・B眼科「原因不明」
2022年・B眼科「糖尿病の検査を」
2023年・糖尿病専門医「問題無し」
・脳MRI検査「問題無し」
・C眼科「原因不明」
・C眼科「原因不明」
2024年・手術提案
2024年・D眼科「原因は不明だがC眼科の提案支持」
このように
原因不明のまま4箇所の眼科と専門医にお世話になった私。
合計6人の医師が首を捻った事になる。
自覚症状としては
2022年頃には夜空の月が3個に見えるようになり、2023年には運転ができなくなった。2024年には表示が見にくいので日々の買い物に時間がかかる。仕事にも支障が出ていた。
当時の私は不安がどんどん募っていった。
私はこのまま視力が失われていくのかもしれない、という恐怖。
それと更に私を悲観的にしたのは、脳内に難しい病気が潜んでいる可能性があったからだ。
これから歩む道をネガティヴな方向にイメージしないよう努めて過ごした。
一方で今のうちから点字を勉強しておくべきかな?
そんな静かな覚悟を決めつつも、どうにか解決の道はないものか?とあがいていた日々だった。
その頃、
これは前回のブログ『うん、でもこれが私だから』にも書いたのだが、彩加さんや文太ママさんに相談し、ヒプノセラピーも施して頂けた。
「自分を許す」
今、向き合うべきはここなのだと、知ることができた。悔しい事に頭では分かってもなかなか腑に落ちなかった。
こんな私を「許す」?
「許す」という活字を丸呑みした気分。胃の中に拳ほどの「許す」がゴロンと転がって消化できず苦しかった😣
私はなにごとも時間がかかるのである。
やんなっちゃう💦
後から考えたら
[こんな私]って💦なんだよ💢
そこですよ!そこ!
だったのだが….…
そんな折、私はめちゃくちゃ痛い検査を受けた。
それは電極付きのレンズを両眼に入れて、暗室で光を見続けるという検査。網膜の異常を探す検査らしい。トータル1時間かかったと記憶している。
そのレンズが普通のコンタクトより大きくてゴツいので痛いったらない😭
この検査はあまり使われないとのことで、技師さんも四苦八苦してレンズを入れてくれた。
一畳ほどの小部屋にひとり。小さなベッドに横たわり真っ暗闇中でひたすら違和感に耐えていたその時、
なんと!思いがけず内観タイムが訪れた。
実はその直前、診察室で決断を迫られ私は動揺していた。
「視力回復の保証はないが白内障の手術をしてみないか?それでも回復しない場合は脳神経外科を紹介する」と医師から提案があり、私は迷いに迷っていたのである。
なぜなら一般に白内障は水晶体が白濁するが私にはそれがない。自覚症状もない。もし眼球にメスを入れて逆に悪化したら?
『崖っぷちだ!どうしよう?』
かくして、さあ!暗室の内観タイム。
電極レンズ姿のこんな愚痴でスタートした。
(あーあ😩私のまぶた、こんなに引き伸ばされちゃってさ〜この歳じゃ元に戻らないよ。ただでさえ年齢で瞼が下がってるのにさ〜💢
どうしてこんなことになってしまったんだろう?どうして?どうしたら良いんだよ💦)
これに答えるように誰かの声が聞こえた(気がした。)
内観というのとは少々違うかもしれない。
以下、謎の声と私の思考との会話が始まった。
声がまずこう放った。
声『私は私の人生を扱い切れない』
私(….…泣きそう🥺)
声『もう何も見たくない』
私「見たくないから、見えない眼にしたって事なんだね?」
声『見たくないものばかりを身の周りに放置するからだ』
私「たしかに見えないフリしてきた」
声『美しいもの、そうでないものを見分ける感性があるのにそれを殺すなら見えないも一緒』
私「そう!諦めている。見たいものを置く事を。私、本気で生きていない」
声『もう見えなくて良いのか?』
私「….…やっぱりイヤ!見たい!もう1度星空を見たい。草花も。好きなものに囲まれて生きていきたい。生まれた時はそのはずだった!」
そこからは私の心の叫びが響いた。
「好き」「美しい」の感性を無駄にしたくない
自分を大切にしたい
我慢の癖、諦め癖を止める
自分を尊重する
私は自分を尊重しても良い
私はそれだけの価値がある
不出来な自分も許す
生きていることを許す
眼のある自分を許す
存在そのものが祝福されている証
私は私をやりに生まれてきた。
だから、お願い🙏
見える眼を残してください🙏
この対話が終了した時には、動揺は落ち着いていた。
自分をおざなりにしてきた事や
本音は自分を大切にしたい事など
これまで押さえ込んできた自分の本音を叫べた。
それだけで、スッキリしていた。
そして、これからは自分を悦ばせて生きる。
そうすることにより
私には最適な事しか起こらない。
決心と予感を深く心に留めて内観は終わった。
会計の後、私は入院の予約を完了した。
そして2024年4月、手術。
術後の執刀医の言葉は忘れられない。
「良かったですね!視力1.5です。
うーん🧐やっぱり白内障だったんですかね〜?」
「え?私に聞かれても〜😅」だ。
結局、原因不明のままだけど
そういうこともあるか〜って結末なんですかね?
結果よければ全てよし。
あんまり嬉しいので記念写真をパチリ!
眼帯が取れた日、夜空をドキドキしながら見上げた。
きれいなお月様がこちらを見ていた。
ちゃんと1つのお月様。
「おかえり〜」って笑ってくれたような気がしたよ。
〈 あとがき(笑)〉
ここでは触れていませんが、D眼科の医師との出会いが私に「どんとこーい!」の心境に導いてくれました。友人からたまたま届いた1通のLINEがきっかけでした。
いくつかの偶然と直感が重なった出来事。今思えば不思議な道筋です。
この道筋に関わってくださった皆様、
そして文太ママさん始めサロンの方々
みーんなに感謝です💕
ありがとうございました。
今回、崖っぷちに立たされた事でやっと自分の心の叫びを聞けた!という経験を綴りました。
叫ぶ前の私は、どうせ私なんて〜という被害者意識が強かったと思います。
リビングの掛け時計ひとつ、私には決定権がなかったので、趣味の合わないその時計を見るたびに惨めな気持ちになっていました。
こんなふうに私の暮らしには「見たくない、見えなくて良い!」のかけらがあちこち散在していたわけです。
時間さえも同様です。いとも簡単に自分の予定を変更して家族の希望に沿っていました。
中途半端な他者優先が私の首を締め、生きる事がとても息苦しかった。
なぜそのような生き方になってしまったのか?それはどう考えても低い自己肯定感の賜物。内なる批判者も大活躍してました。
そして、その根源にはモラ夫から受けた心の傷、育った環境(インナーチャイルド)、前世からの課題などが絡んでいます。
文太ママさんから[ねばならぬ]一辺倒のお侍を癒して頂いたり、セラピスト仲間にもあちこち引っこ抜いてもらえたので潜在意識が変わる事により現実が変化したのだと実感しています。
どうせ私なんて時代の自分を振り返るとバカだな〜!と今はそう思います。でもそれに気づけたのはこの眼の不調のおかげ。崖っぷちのおかげですね。
バカだな〜とは思いますが、後悔はない。そう気づけた事自体に価値があると思うから。ある意味収穫です。
ただ〜欲を言えば….4年間も苦しむ必要があったかな?と。
その間、運転から遠ざかっていたので、いざ視力が回復しても現在は運転に尻込み中です😭
また、手術の1年前、せめて盲目になる前に星空が見たいから!と長野まで行ったのに、足元が良く見えないが故に転落して骨折!救急車に40分揺られることに。高額の治療費も痛かった💰
そうそう!まぶたの張りも失ったし〜😭
ここまでになる前にもう少し早く心の叫びに気づきたかったです😱
このブログをここまで読んでくださった方で、もし、原因不明の不調のある方がいらしたら、
ぜひ、ヒプノセラピーを試して欲しいと切に願います。

潜在意識のもたらす現実世界の変化を体験してみませんか?
ここまで長文にお付き合い頂きありがとうございました。
癒しの館セラピスト
🌿葉月